「神の約束に生きる」
説教要旨( 5月 4日 朝礼拝 )
創世記 第17章 1~ 8節/ローマの信徒への手紙 第 4章13 ~ 17節
倉橋康夫
本日の個所の最初で、この<信仰による義に基づいて>、<神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束された>、と言います。ただひたすらに、神を信頼する、罪を深く悔い、神のみ心に全てをお委ねする、そのような私たちを神は赦し、受け入れて下さり、そのように、神との交わりに生きる者に、神は世界の相続を約束されると言うのです。アブラハムとその子孫への約束として語られていますが、その約束が今や、全てのキリスト者、アブラハムの信仰に従う者に与えられております。<16従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。>、とある通りです。この<約束>は特別な字であり、無条件の約束を意味します。
アブラハムに与えられた「契約」も、一方的な約束と言ってよい性格のものと言えます。創世記 第12章でそうであり、本日併せて読んだ 第17章においても同様です。ここでアブラハムは、<多くの国民の父となる>との約束を受けました。これは、恵みとしての神の約束です。主なる神は、<わたしの契約>と繰り返し言っておられますが、これは「わたしの約束」の意味合いが強いのです。
パウロは、その神の恵みであり、一方的な贈り物である約束とは、世界を受け継ぐということである、と言います。この世界を相続するとは、世界の支配者になるということではありません。世界の支配者は、神お一人です。神のご支配の下に、世界を受け継ぐのです。そして、神のご支配とは、天地創造のみ業で示されたように、何よりも祝福によるご支配です。
それは、第一に、現在の世界に神の祝福を重ね合わせるということでしょう。今現在、私たちは神の祝福の下に、この世界に生かされており、この世界に喜ばしく生きることが許されている、ということです。但し、その根底に、<信仰による義に基づいて>ということがあり、神との交わりの中にあってということが前提であることを忘れてはならないでしょう。神から離れて、この世の生を楽しもうとする時、真実な喜びは与えられないのです。従って、現在の世界の有り様をそのまま容認し、それに迎合し、調子を合わせて生きる、ということではありません。神の祝福の下に喜ばしくこの世に生きる信仰者の姿、教会のあり方が自ずと、世界に対する警鐘となり、証しとなります。
扨て次に、世界を受け継ぐとは、終末的な観点から捉えることもできます。つまり、終末において実現する世界を受け継ぐ、ということです。ヨハネの黙示録 第21章で、<1わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。>、とあります。新しい天と新しい地に迎え入れられる、ここにキリスト者の希望があります。そこは、神が人と共に住み給う所だ、と言います。
ところで、このような世界を受け継がせるとの約束を与え給う神とはどのような方かについて、パウロは<死者に生命を与え、存在しないものを呼び出して存在させる>、と言います。アブラハムが信じた神は、このような、絶対的なみ力を持った方であり、私たち全ての信仰者が信じる神なのだ、と言うのです。そして今や、私たちは主キリストの復活を知っており、神が主を死者の中から甦らされたと知らされています。正に死者に生命を与え給う神を、我々は信じているのです。ここに、神の全能を見い出すことができます。神の全能とは、救いをもたらす為に力を発揮して下さる、ということだからです。
このような救いの神は、世界を受け継がせるとの約束を与えて下さいました。私たちは、この「神の約束に生きる」者たちです。この神の約束に堅く立って進んで参りましょう。

