「主キリストのご降誕」
説教要旨(12月 21日 朝礼拝)
イザヤ書 第61章1節
ルカによる福音書 第2章1~7節
倉橋 康夫
ルカ福音書の伝える主イエスの誕生の出来事は、ローマ皇帝アウグストゥスからの勅令で始まっています。「アウグストゥス」の原意は「崇敬すべき者」であり、「現に生ける神」を意味するとされ、ローマ皇帝アウグストゥスは、世界の王であり、平和と永遠不滅の象徴として崇拝されていたのです。この権力者からの命令が出されたのが、住民登録です。それは人口調査であり、権力者が自分の支配を固めるため、課税、賦(夫)役、徴兵・・・のため必要なことでした。それで、<人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。>(3節)のです。そして、<ヨセフもダビデの家に属し>ており(マタ1 : 16参照>、ガリラヤの町ナザレの大工ヨセフは、身重のマリアと旅に出ました。許婚関係は、法的に婚姻とみなされていたため、マリアも同行しなければならなかったのです。ヨセフとマリアは、<ユダヤのベツレヘムというダビデの町>へと向かったのです。
二人は、やっとの思いで、ベツレヘムに着きました。<ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた>(2 : 6 ~ 7)のです。マリアの初めての子が寝かされたのは、<飼い葉桶>(家畜の餌箱)でした。当時のパレスチナ地方の家畜は、牛かロバでした。馬は軍用であって、家畜ではなかったのです。何故<飼い葉桶>なのかについては、<宿屋には、彼らの泊まる場所がなかった>、と説明されています。泊まる場所がなく、家畜と一緒で、<飼い葉桶>に寝かされた、ということは、主イエスについて象徴的な意味があると言えるでしょう。ある人は十字架が暗示されている、と言います。正に主イエスは、人々の無理解と拒絶のもとに、十字架につけられることになったのです。
主イエス・キリストの誕生は、このように居場所もないような状況のもとに、ひっそりと起こった出来事でした。しかも、最初の寝床が飼い葉桶という、誠に貧しい誕生でした。飛ぶ鳥をも落とす程の勢いを誇り、「神」の称号さえ持つローマ皇帝アウグストゥスとは対照的なお姿です。しかし、ローマ帝国は滅び、皇帝アウグストゥスも忘れ去られるしかないけれども、この貧しい「主キリストのご降誕」は今も尚、世界中で記念され祝われているのです。
聖書は、貧しさの象徴、苦難の象徴とも言うべき「飼い葉桶の乳飲み子」こそが、「救い主のしるし」である、と伝えます。それは、主の天使が羊飼いに告知したことです(10 ~ 12節)。使徒パウロは、「主イエス・キリストの恵みとは、主が貧しくなって下さったことにある。その主の貧しさこそが、私たちに救いをもたらすもの、我々の望みなのだ」(Ⅱコリ8 : 9)と言います。それは、神が低く貧しくなって下さったことであり、そこに神の救いのみ業があるからです。フィリピ書 第2章6 ~ 8節には、「神の身分であったキリストが、人間となられ、十字架の死に至るまで従順でした」との、古いキリスト讃歌が記録されています。正に、クリスマスは、神がこの地上に降られ、人間となられた出来事です。この神、独り子なる神が、救いのみ業を成し遂げてくださった主キリストなのです。
この主キリスト(油注がれた者・救い主・メシア)は、神が予め預言者を通して、約束しておられた方です。併せて読んだイザヤ書 第61章1節に、<主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。/わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。・・・>、とあり、この預言は、主イエスご自身のメシアとしての自覚でした。<そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。>(ルカ4 : 21)とあります。クリスマスは、この「主キリストのご降誕」という出来事に他なりません。クリスマスは、この主キリスト・救い主を私たちの心の中に改めて迎えて、感謝と喜びを味わうシーズンです。

