「聖霊を受けた人々」
説教要旨( 5月31日 ペンテコステ 朝礼拝)
詩編 第51編 12~17節
使徒言行録 第10章 44~48節
橋本いずみ
今日は、聖霊が与えられたことを記念する祝いの日です。この祝日に富士見町教会では、聖なる霊に導かれて、一人の姉妹がキリストと結び付けられる洗礼を受けました。最初の聖霊降臨のときのように、聖なる霊に導かれて引き起こされた一つの出来事を今、見せていただきました。
使徒言行録10章には、コルネリウスの家での出来事が記されています。そこで、「聖霊が降った」といいます。最初に聖霊が降ったときと同じように、ペテロの話を聞いているすべての人に聖霊は降りました。
五旬祭の日、聖霊降臨を体験した弟子たちは、霊に満たされて、神の偉大な御業を語るものとなりました。(使徒2章)コルネリウスの家で御言葉を語るペトロも最初に聖霊が降った時に集まっていた弟子の一人です。そして、霊を受けて、ペトロは主イエスの出来事を語り出しました。
ペトロが語った出来事は、主イエスの救いの出来事。神は、主イエス聖霊と力によって油注がれた方となさいました。方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされました。人々は、主イエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現わしてくださいました。(前段落)
コルネリウスの家ではペトロが語るその御言葉を聞き、主イエスの出来事に思いを深めていたのです。すると、一同の上に聖霊が押し寄せてきました。
ペトロと一緒に来た人は、そこで驚くのです。なぜかと言うと、彼らは、ユダヤ人に以外の人に霊が降るとは、思っていなかったからです。
霊の賜物が注がれたとき、異邦人たちもまた神を讃美し異言を話し始めました。聖なる霊は、今までになかった異なった言葉を語らせる霊であり、神を賛美させる霊です。
私たちが神を讃美し、神の偉大な業について語ることが出来ているならば、それは、聖なる霊が与えられている何よりの証拠です。
教会の群れには、絶えず新しい人が加えられてきました。何と驚くべきことでしょうか。神を知らなかった人が、神への感謝の言葉を語り出し、そして、讃美の声を上げ出すのです。これは、聖なる霊の働き以外の何物でもありません。
私たちも、以前は神を知らないものでしたが、御言葉の語られるところに身を置き、聖霊によって神の御業を語り、神を賛美する者にされました。
聖霊降臨は、一度きりのものではありません。私たちに与えられた聖霊は、かつて、五旬節の日、弟子たちが受けたものであり、コルネリウスの家に集まった異邦人にも注がれたものです。そして代々の教会が聖霊を受けて来たから、今、教会が存在しているのです。
コルネリウスの家では、すべてのものに霊が降り、その霊を異邦人たちも受け取りました。異言を語り、神を賛美する者は、聖霊を与えられたものであるのと同時に、聖霊を受け取った者です。押し寄せてくる聖霊を拒否することなく受け入れた者が、洗礼を授けることを誰が止めることができるだろうか、決して洗礼を妨げることなどできない、とペトロは言います。霊が降り、その霊を受け取り、神を讃美するようになったものに洗礼を授けることは、神の計画。水で洗礼が授けられるとき、私たちはそこに聖なる霊が注がれていることを信じます。
教会にとって、水を注ぐ儀式を行うことができたことは、大きな喜びです。妨げるものは、様々あったことでしょう。しかし、今やその妨げの一切が取り除かれて、神の計画が進められました。
今日、私たちすべてに再び与えられた聖なる霊によって、今、注がれる聖なる霊を、受け取って歩んでいきたい。讃美の声をあげ、主イエスの出来事を語りながら、歩んで行きたい。御言葉が語られる時、神は聖なる霊を送ってくださいます。

