「永遠の命を受ける」
説教要旨( 6月21日 朝礼拝・CSとの合同礼拝)
ルカによる福音書 第18章 18~23節
倉橋康夫
今日は、「花の日・子どもの日 合同礼拝」です。先週の教会学校の説教で、何を聞いたか、覚えていますか。説教題は、「感謝して、洗礼を受けよう」でした。思い出して下さい。
さて、今日の聖書個所で、<議員>が登場します。議員とは、イスラエルの国の重大なことを決める「議会」のメンバーで、身分の高い人です。その議員がイエスさまの所にやって来て、質問をしました。<「善い先生、永遠の命を受け継ぐために、何をしたらよいでしょうか」>、と。そこで、イエスさまは、<『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟>を、あなたは知っているだろう、と言われました。この人は自信満々、それは子どもの時から守っています、と答えました。みな守っているから、永遠の命を受けられる、と思ったのかも知れません。けれども、イエスさまは、<「あなたに欠けているものがまだ一つある。>、と言われました。<欠けているもの>とは、足りないこと・不足なこと、という意味です。
みなさんは、イエスさまから、いつも、ちゃんと・きちんとしているか、と尋ねられたら、どう答えますか。はい、一所懸命、神さまから喜んでいただけるように、やっています、と答えられますか。そうかも知れません。毎週教会学校にも来ているし、友だちとも仲良くするよう気を付けているし、困っている人には親切にするようにしてるし、色々・・・、言えるでしょう。この人も自信満々に、答えることができました。けれども、イエスさまは、その人に対して、あなたにはまだ一つ欠けているものがある、と言われたのです。
それは、<持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。>、ということでした。しかし、これを聞いて、その人はがっくりしてしまいました。聖書に、彼は<大変な金持ちだったから>、と書かれています。自分の持っている沢山の財産を売り払うなどとんでもない、と思ったのです。それ程、財産が大事だったのです。私たちにも大事にしているものが、色々あります。おもちゃ、絵本、またゲーム機、気に入っている洋服、・・・そして、お金そのもの。けれども、それらを大事に思う余り、他の人に分けてあげれない、貸してあげることもできず、それにしがみ付いていると、イエスさまはそれは違うんじゃないか、と言われるのです。多く持っている人は、持っていない人に分けてあげることが大切だ、と。
<すべて売り払い>とは、文字通り全部売ってしまえ、というのではなく、自分の持ち物にしがみ付かず、独占せず、手離すことができる程に自由になる、ということです。だから、<そうすれば、天に富を積むことになる。>、と言われるのです。<天>とは、神さまのおられる所です。神さまの許に、富を積む・宝を積むということこそ大事だ、と。私たちの心を、いつも神さま・イエスさまに向けている、自分中心ではなく、神さま・イエスさま中心に生きることです。
ところで、私たちはこのように、日曜日毎に、教会に集まって礼拝を捧げています。普段の日曜日は、教会学校と一般礼拝に分かれているけれども、それぞれに礼拝を捧げています。神さま・イエスさまに、私たちの心を向けて、礼拝を捧げているのです。今日の説教の題は、「永遠の命を受ける」です。「永遠の命を受ける」とは、いつも、そしていつまでも、生きている、ということです。そして実は、「永遠の命」とは、いつまでも神さま・イエスさまと一緒にいることを意味します。神さま・イエスさまと結ばれている、ということです。そのためには、洗礼を受けて、教会に繋がることが大事です。私たちは、自分ひとりで信仰を守っていくことができないからです。教会に繋がり、みんなと一緒に礼拝を捧げながら、永遠の命を受けて、いつまでも、神さま・イエスさまと一緒に、私たちは生きていくことができるのです。私たちが「永遠の命を受ける」ために、イエスさまはこの世に来てくださいました。父なる神さまが、イエスさまをお遣わし下さったのです。

