「真実の言葉を話す」
説教要旨(11月15日 朝礼拝 教会学校との合同礼拝)
マタイによる福音書 第15章10~20節
倉橋康夫
ここには、教会学校の生徒と教会関係の子どもが大人と一緒に集まっています。そして、さっき幼児祝福式を行いました。
さて、今日の聖書個所では、イエスさまが群集に教えておられます。<「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚すのである。」>と。そして、<口に入るもの>とは、食べ物のことであって、<腹を通って外に出される>だけで、人を汚すことはないけれど、<口から出るもの>は、言葉のことで、<これこそ人を汚す>と言われます。<悪意、・・・、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。>と。
私たちは、毎日色々なことを言っています。
感謝の言葉、ほめる言葉、慰めの言葉、讃美の言葉、祈りの言葉、等々、沢山の良い言葉があります。その反対に、悪い言葉も沢山あります。イエスさまは、その悪い言葉を並べて見せて、そのような言葉を言っていると、その人を汚す、と言われたのです。
汚すとは、言ったその人本人を悪くすることです。悪いことばかり言っていると、その人はどんどん、どんどん悪くなっていきます。それは、その人の心から出た言葉だからです。悪いことを言う心があって、更に、その心が悪くなっていくのです。そうなると、悪いことばかり言うようになってしまいます。悪態をつく、嘘をつく、悪口を言う、陰口や根も葉のない噂を流す等々、色々な悪いことが言われます。それらは、他人を傷つけ、苦しめ、友達の心を突き刺すのです。
ところで、そもそも、言葉は人間に特別に与えられているものです。創世記に、人間は神に似せて造られ、神より命の息を吹き入れられた、と書かれています。神に似せられ、神との交わりに生きるようにと造られた人間が、悪いことを言って、傷つけ合うことをしていて良いわけがありません。また、モーセを通して与えられた十戒の第九戒は、「隣人に関して偽証してはならない」というものです。これこそ、隣人・友人・知人・他人について、悪いことを言ってはならない、ということです。悪いことばかり言っていると、その人自身が、汚れていくのです。
ところで、それ以上に、汚れるとは、神さまに嫌われることです。神さまに嫌われるとは、大変なことです。神さまに祝福され、愛されて生きることが、私たち人間にとって一番幸せなことだからです。その反対の方向に向かってはならないのです。主イエスは、神の愛を示し、与えるために、この世に来て下さいました。それなのに、人間がそれを受け入れず、神さまに反抗するかのように生きていて良いわけがありません。イエスさまは、そのような悪く汚れた生活をしないように、と教えられたのです。
それでは、どうしたら、良い言葉を口にしながら毎日を過ごすことができるでしょうか。それは、神さまの愛と恵みを知り、神さまに感謝し、神さまを讃美するようになることです。ここに「真実の言葉」があります。それは、イエスさまの愛と恵みを知ることによって、私たちの心に生まれてくる思いです。イエスさまは、神さまの愛と恵みを、私たちに知らせ、与えるために、この世に来られ、十字架にかかって下さいました。私たちは、この主イエスをしっかり見つめ、神さまの愛と恵みにお応えする日々を送りたいと思います。
ここには、お年寄りから、赤ちゃんまで、富士見町教会に繋がっている人たちが集まっています。ここに来られなかった人たちも大勢います。病気のために、年をとって体が不自由なために、都合がつかなくて来ることができなかったのです。そのような人たちのことも覚えましょう。今年も、幼児祝福式を行なう礼拝をすることができました。富士見町教会に関係のある、幼児に神さまからの祝福をみんなで祈りました。ここには、富士見町教会全体の祈りが集められているのです。みんなで、一緒に、「真実の言葉を話す」毎日を送っていきましょう。

