「今日も生きている」
説教要旨( 1月17日 朝礼拝)
申命記 第4章 1~4節
ヨハネによる福音書 第14章 15~24節
橋本いずみ
「あなたたちは、今日も生きている」モーセはイスラエルの民に向かって言います。申命記には、モーセが神の民イスラエルに向けて語った言葉が記されています。3章までは、神は何をなしてくださったのかということが記され、4章以降には、これからなすべきこととして、法、掟、戒め、言葉を行い、守ることが命じられます。それが、これからのイスラエルの民の歩みには、欠かすことのできないというのです。
わたしたちが信じている神は、言葉をもって御自身を明らかにし、人は神の語られる掟と法を行うことによって、神と共に生きるようになります。掟と法を行うとは、神と共に生きることを選択していくことです。
バアル・ペオル(民数記25.1-9)で神に従わないものたちは滅ぼされました。バアルという神は、拝みさえすれば、求めているものを無条件に与えてくれる神です。真の神は、バアルと自分願いのためにバアルを拝む者たちと対決されます。わたしたちの信じる真の神は、神を礼拝することによって、神の願いにわたしたちを組み込んでくださいます。
あなたがたは、「今、生きている」と言います。確かに生物学的に生きているものがここに存在しています。けれどもここで言う「生きる」とは、生物学的に「生きている」だけでなく、神との結びつきを持ち続けているということです。神との結びつき、関係が「生きている」ということです。この意味でもわたしたちは生きています。神との結びつきを持つ者として、神さまの言葉を聞き、それに応える歩みを始めようとしているからです。
併せて読んだ新約聖書でも「生きること」と「掟を守ること」が並んで出てきています。ここでは、あなたがたが生きているのは、主イエスが生きているからであると言います。主イエスは、死んだお方でありながら、甦らせられ生きておられるお方です。主イエスは神との断絶を回復するために、わたしたちに代わって十字架にかかってくださいました。神はその主イエスを復活させられ、わたしたちは主イエスによって、神との関係に、今、生きています。
今、生きている者には、掟を守ること命じられます。わたしたちが行い、守るべき「掟」は、主イエスが与えてくださった掟です。「その掟とは、神の子、イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じたように、互いに愛することです。」(Ⅰヨハネ3:23)
イエス・キリストの名を信じるとは、キリスト者ならば当然のことかもしれません。しかし、わたしたちが身を置く社会、わたしたちが生きる世界でイエス・キリストの名を信じ続けることは、当然で、簡単なことではありません。だからこそ、この世界にあって「イエス・キリストの名を信じなさい」命じたお方がおられることは、大きな力となります。わたしたちの生きる世界はかけだらけであるとしても、この世界を神は見ておられて、この世界に生きる人を救うことを望み、わたしたちがイエス・キリストの名を信じて、生きることを望んでおられるのです。
主イエスの命じた掟は、信じることと愛することです。「愛すること」は、好きになる感情ではなく、自分に与えられているものを誰かのために、使うことです。わたしたちは愛することを主イエス・キリストから学びます。主イエスは、わたしたちと神さまとの断絶を回復するために、十字架にかかってくださいました。このお方に従い、主イエスがわたしたちと神さまの関係を結び合わせてくださったように、誰かが神との関係を回復するために、わたしたちは与えられているすべてを用いて、愛の掟に従うのです。
最後に、この掟を守るためには、欠かすことのできないものがあります。それは、「霊」です。主イエスの掟を守ることをなさせてくださるのは、神がわたしたちに与えてくださる「聖霊」によってです。わたしたちは「霊」によって神の御前に呼び集められ、再び神との結びつきを確認させられまました。そしてわたしたちは、今日も、生きているのです。

