「子や孫たちにも教えなさい」
説教要旨( 5月9日 朝礼拝 )
申命記 第4章9~14節
マタイによる福音書 第28章16~20節
橋本いずみ
「わたしの言葉を彼らに聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、またそれを子らに教えることができるようにしよう」主なる神の御前に立つ人々に向かって仰せになります。わたしたちは教会に呼び集められ、神の御前に立ち、神の言葉を聞くものです。神は、エジプトから人を導き出すことだけではなく、人が神を畏れること、次の世代のものたちに伝えていくことを求めます。
「畏れることを学ばせる」と仰せになる神は同時に「恐れるな!」(歴上22:13)と語ります。わたしたちは、身の回りに起こる事件や自分自身の課題や将来に恐れを抱きます。それらに対して主なる神は「畏れるな!」というのです。わたしたちをこの世に生まれ出させ、今まで愛をもって育て、導いてくださったお方は、生涯に渡って導いてくださるからです。そして、主なる神は、畏れることを学ばせ続けるというのです。それは、神を畏れ敬うこと、礼拝し続けることです。神を礼拝するときに、神への恐れを学ぶのです。
併せて読んだ新約聖書において、弟子たちが山に登る目的は、主イエスに出会い、主イエスを礼拝するためです。しかし、そこには疑うものがいたと言います。主を礼拝する弟子たちのすべてが疑っていたのです。彼らは、復活の主を礼拝しながら、疑っていたのです。
かつて弟子たちは、「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか」(マタイ14.31)と仰せになる主イエスの声を聞いたことがありました。その夜、弟子たちは、船に乗っていました。逆風に悩まされるところに主イエスが現れ、「安心しなさい、わたしだ。恐れることはない」と言われます。するとペトロが「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、そちらに行かせてください」応え、主イエスが「来なさい」と言われて、湖の上ペトロは歩いていきます。しかし、強い風に気づき、怖くなり、沈みかけて、「主よ、助けてください」と叫ぶ。そこで、主イエスが仰った言葉、それが「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか」という言葉でした。
弟子たちは、山に登ったこのときも、あの夜と同じように、前に進めずに強い逆風に悩まされていたのです。この世で起こることへの恐れを抱きつつ、主を礼拝するために山に登って来たのです。
そこに、主イエスは近寄って来られて「わたしは、天と地の一切の権能を授かっている」と仰せになります。天と地で起こることは、主イエスのお許しなしには、起こりえないことであるというのです。
「だから」と弟子たちには「すべての民を弟子にすること」「父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけること」「あなたがたに命じておいたことを守ることを教えること」が命じられます。
この命令は、世界を見るときに、無茶な命令のように思えます。けれども、できないことが命じられているかというとそうではないと思うのです。「すべての民を弟子とせよ」と命じたお方は、「天と地の一切の権能をお持ちになっているお方」だからです。だから、わたしたちは、このお方の力を信じて、主の命令に従おうとするのです。
復活の主は「わたしが命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と命じます。「主が命じたことをすべて守るように教えよ」というのは、神が語り命じたことを成就されたお方を教えることであり、そのお方に従いゆくことを教えることです。
イスラエルの民に対して主なる神は、「わたしたちが目で見たこと」、「主がお語りくださった言葉」を伝えなさいと命じます。
わたしたちが目で見てきたことは、不安の中で神が御手を伸ばし助けてくださったこと、神が人を救い、神の民に人を受け入れてくださること、キリストの後に従う洗礼を受けることです。そして、わたしたちが聞いてきたこと、それは聖書に記された、神の言葉です。
これこそ、わたしたちが子や孫たちに、すべてのものに教えていくことです。

