「寄留者」
説教要旨( 5月30日 朝礼拝)
創世記 第12章1節
ペトロの手紙一 第1章1~2節
上田容功
ペトロの手紙一第1章1-2節には、信仰者とはどのような人たちか、ということが書かれています。信仰者は「離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」です。
信仰者はキリストの尊い血において選び出された人たちです。選ばれた、という言い方は、神の民であるイスラエルに与えられていた呼び名です。そのような特別な言葉が、この手紙の受取人であるキリスト者に対して用いられています。
信仰者が選び出された人たちであることは、天地創造の前から定められている神の御計画に基づいています。私たちを神との交わりに招き入れようとする救いの計画です。このような、父なる神の御心は、御子の十字架での死と、死人の中からのよみがえりにおいて、示されました。御子が十字架において、御自身の血を私たちの罪の贖いの供え物として捧げられたことによって、私たちの選びが実現したのです。
信仰者が、神によって選ばれた人たちである、ということは、私たちは召し出された人たちである、ということです。召し出されたというのは、すべての信仰者に言われることです。洗礼を通し、キリストの十字架での死に与り、キリストの復活に与ることによって、キリストと結び合わされ、神の子とされているのです。それは、死から命への大転換です。
神によって選ばれ、この世の価値観ではなく、神の御前に生かされる者とされた故に、信仰者は様々な場面で、人々の理解を得られず、苦しむことがあります。この世において生活しつつも、社会の中の少数派として生きる信仰者は、この世において離散して仮住まいをしている人たちです。この世に定住地を持たない寄留者です。
創世記第12章1節において、主がアブラハムに語られた言葉を聞きました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私の示す地に行きなさい」。アブラハムは、神の召命に従い、寄留者としての生涯を歩みました。神が備えてくださっている祝福を目指して、前へ前へと前進したのです。アブラハムが、神の召しに従い、父の家を離れ、寄留者として歩んだように、ペトロの手紙一の受取人である信仰者も、神の召しに従い、家族が受継いできた信仰から離れ、キリストの道を歩んだのです。そのような信仰者は、生まれ故郷に住んでいても、信仰に生かされることによって、寄留者のように感じていたのではないでしょうか。
使徒パウロが「わたしたちの本国は天にあります」と語るように、信仰者は、天に国籍を持つ者です。信仰者は、神に選び出されたことにより、この世において寄留者として仮住まいをしているのです。異国の地において寄留者として生活していると、安心感がありません。心身ともに疲労が溜まります。私たち信仰者も、この世における信仰生活の歩みにおいて、信仰の闘いに疲れを感じるかもしれません。しかし、国籍を天に持つ者である、という希望に生かされているからこそ、この世での歩みにおいて経験する様々な苦難から一歩も退かずに、勇気を持って立ち向かう力が与えられています。
主は、祝福を与えるために、アブラハムを召し出し、慣れ親しんだ生まれ故郷から離れるように命じました。神が私たちを選び出したのも、私たち信仰者に救いという祝福を与えるためです。居心地の良い古き自分に生きていては、罪の中に安住してしまい、滅びに向かって突き進んでしまうからこそ、神は私たちを選び出し、寄留者としての歩みを与えました。苦難の道かもしれません。しかし、神は私たちを救いに与らせるために、召し出してくださったのです。まことの安息が用意されている、天にある本当の故郷に向けて、希望に導かれながら、力強い信仰の歩みを大胆に展開して参りたいと思います。

