「主こそ神、ほかに神はいない」
説教要旨(8月15日 朝礼拝)
申命記 第4章32~40節
マルコによる福音書 第12章28~34節
橋本いずみ
「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。」と律法学者は、主イエスの言葉に答えます。律法学者は掟という基準を持ち、それを守ろうとしていました主イエスの時代の人々が律法を基準にしていたように、わたしたちも日々守ろうと心がけていることや基準となる何かを持っていると思います。そして、ふと立ち止まったときに、「何を第一にすべきか?」ということを問うことがあるのではないでしょうか。律法学者は、あらゆる掟の中で「何が第一なのか?」ということを主イエスに尋ねます。そこで、主イエスは第一のこととして愛することに関する二つの掟(申6:4、レビ19:18)をお教えになりますけれども、その前に「聞け、イスラエルよ、わたしたちの神である主は、唯一の主である」と宣言されます。
この宣言は、申命記の中で繰り返しなされているものです。この宣言によってイスラエルは神の民とされていることを思い起こしました。今日読んだ旧約聖書においても、神こそが唯一の神であると宣言されています。
イスラエルは、出エジプトを出発点として、約束の地を目指す中で、まことに神の民となっていきました。主なる神は、様々な試みとしるしと奇跡を行われ、御自分が苦労し力を発揮しなければならないことをあえて選び、民をエジプトから導きだされました。出エジプトから始まった旅路を通して、神は御手の力を発揮し、御腕を伸ばして民を守ってくださいました。民は、そのたどって来た道を振り返り、神だけがイスラエルを神の民とすることができることを、知るに至りました。
この旅の間、主は民に言葉を与えて導いてこられました。しかし、人が主のお言葉を聞くことは、実は恐ろしいことであり、耐えられることではありません。わたしたちは、教会に来て礼拝を守り、主なる神から、お言葉をいただくことを望みます。モーセが、「神の言葉を聞いてなおも生きている」と驚きをもって語ったように、わたしたちが神の言葉を聞いて、生かされているということは驚くべきことです。
そして、主なる神は驚くべきことを成し遂げ、イスラエルを神の民として訓練なされました。その理由は、「主はあなたの先祖を愛されたゆえ」です。神が人を選ばれる根拠は、わたしたち自身の在り方にあるのではなく、神の決断にあります。神がわたしたちに先立つ人を愛されたゆえに、わたしたちは神のお言葉を聞き、神の導きのもとに生きるのです。
神は、わたしたちに先立つものとして、主イエスをお与えくださいました。わたしたちが神の言葉を聞く根拠、神がわたしたちを選ばれた根拠は、主イエス・キリストにあります。神が主イエスを愛され、主イエスが神と人を愛するゆえに成し遂げてくださったことがあるからこそ、神の民となっていくのです。
わたしたちの主は、十字架の主です。主は命を捨てて、愛をお示しくださいました。神が与えてくださった愛は、人を救うためにならば、独り子の命をも惜しまない愛です。
主イエスは、十字架にお架かりくださることによって、唯一の主であることをお示しくださいました。その主が、第一のこととして「愛すること」をお教えくださいます。主イエスは、神が愛してくださり、主こそが神であることを知った「あなたがたは愛するようになる」と言われます。十字架にお架かりくださった主の力によって、神を愛し人を愛するものへと神が造り変えてくださいます。
わたしたちは、洗礼を受けて、信仰の旅路を始め、神の国を目指して歩み始めました。わたしたちの生きる世界には、愛のないこと、苦しいこと、傷つき傷つけられることが充満しているように思えます。けれども、主イエスはこの世界に生きるわたしたちに、主が成し遂げられた驚くべき御業を明らかにしてくださいました。主イエスの愛に従って、神と人を愛するようになっていく信仰の旅路を続けていきたいと思います。

