「わたしについて来なさい」
説教要旨(1月22日 朝礼拝)
出エジプト記 第13編17 ~22節/
マルコによる福音書 第1章16 ~20節
佐藤智子
「わたしについて来なさい」。この主の御言葉は、みなさんの人生を変えた言葉ではなかったでしょうか。「マルコによる福音書」が証言するのは、この主の呼びかけによって、その人生・生き方を変えられた者の存在です。
後に、イエスさまから「ペトロ」というあだ名をつけていただくことになるシモンと、その兄弟アンデレが、いつものように漁をしていました。そのガリラヤ湖のほとりをイエスさまが、通りがかられたのです。 しかし偶然、その場所を通りがかられたのではありませんでした。偶然の出来事に見せた、神の必然の出来事、それが弟子たちとの出会いでありました。イエスさまは、シモンとアンデレが漁師として働いている姿を、御覧になられました。
「わたしについて来なさい。人間を獲る漁師になれるようにする」と、イエスさまはシモンとアンデレに向かって言われました。人間を獲る漁師。罪の中を漂う人間を、救いあげるために働く者、また一方では、釣り上げられた魚は死を迎えることから、「死」が暗示され、罪に死ぬ者とするべく、釣り上げる者とも解釈できます。
シモンとアンデレは、「すぐに網を捨てて従った」とありました。大事な商売道具であり、生活がかかってきたものを手放して、イエスさまに従うのです。
さらにイエスさまは、ヤコブ、ヨハネともお会いになられました。二人は、舟の中で網の手入れをしました。その様子をご覧になったイエスさまは「すぐに」、ヤコブとヨハネをお呼びになりました。「わたしについて来なさい」。ヤコブとヨハネにとって、父ゼベダイは、自分たちが頼りとしてきた大きな存在だったはずです。しかし、その父を、雇い人と一緒に舟に残していくのです。ヤコブとヨハネは、自分たちが生きてきた場所を離れて、イエスさまの後についていくのです。
シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ。イエスさまの言葉に従った4人の弟子の姿が、描かれていました。マルコによる福音書は、イエスさまに召し出された弟子たちの反応について、その行動のみを記しました。彼らの戸惑いの言葉も言い訳の言葉も記しませんでした。4人を見つけられ、特別な出会いをされ、声をかけられたイエスさまが、この者たちの「弱さ」をも御存知でおられ、それでもなおも、この4人に言われたのです。「わたしについて来なさい」。
出エジプト記において、主なる神さまは、イスラエルの民をエジプトから脱出させ、避難させてられる際、近道であるペリシテ街道を避けられました。イスラエルの民は、それなりの装備はしているものの、敵に遭遇した場合、心挫けてしまう「弱さ」があることを、主なる神さまは知っておられました。主なる神さまは、彼らの「弱さ」を覚え、受け止められるのです。そして、迂回ルートへと導かれました。神さまに従い得ない弱さを持つ民の先頭を、主なる神さまは歩まれ、昼は雲の柱、夜は火の柱を用意され、守られたのです。
「わたしについて来なさい」。私たちの弱さを知っておられ、罪を知っておられ、またそのために十字架にお架かりになられたイエスさまが私たちに呼びかけられます。私たちは、十字架の下で、この言葉を聞くのです。
召し出された弟子たちは、網を捨て、それまで生きてきた場所から離れました。そして、イエスさまを見つめて歩きはじめました。救い主を見つめて、神さまを見つめて歩き始めたのです。私たちもまた、網を捨てて、救い主を見つめて、神さまを見つめて、新しい一週間へと導かれてまいりましょう。

