ホーム | 説教

今週の説教

信仰の遺産

説教要旨(11月21日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 12:11-18
牧師 藤盛勇紀

 コリント教会の中に使徒パウロに対する厳しい批判や中傷がありました。パウロがコリントを去った後に来た偽使徒たちの方が立派に見えたのです。それで「パウロはあれでも本当にキリストの使徒なのか」という非難にも晒されます。それどころか、「悪賢くて、あなたがたたからだまし取ったということになっています」と、根拠のない誹謗中傷まであったのです。
 しかしパウロはひるまず、コリント教会への愛をもってこう言います。「あなたがたに負担はかけません。わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです」。親が子のためにするように、パウロはコリント教会に本物の信仰の遺産を受け渡そうとします。偽教師たちが様々な能力や特殊な経験を誇る中で、パウロが誇って見せたのは彼自身の「弱さ」だけでした。パウロは言いました。「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。そこにキリストの救いの恵みが証しされ、不思議に神の業が見えてくるのです。
 すると、この言葉は疑問に感じられます。「しるしや、不思議な業や、奇跡によって、…実証しています」。パウロは弱かったはずではないか。確かにパウロは弱いのです。もし、「しるしや不思議な業や、奇跡」が魔術のような奇跡だとしたら、何の苦もなく皆をアッと驚かせることができたでしょう。
 では、パウロの「不思議な業」とは何か。不思議にも「忍耐強く」と言っています。「全ての忍耐によって」という言葉です。あらゆる忍耐を経てからでないと見えてこないしるし、不思議な業、奇跡があります。パッと見せて驚かせるような奇跡ではなく、あらゆる忍耐を経て分かる奇跡です。
 次々と襲う艱難や日々の心配事に悩み、自分の病気とも闘い、しかも癒されない。そんな生活のただ中で、パウロは不思議にも憐れみと慈しみに満ちた主のお言葉を聞きます。「私の恵みはあなたに十分だ。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」。
 どんな時にもどんな弱さの中でも、慰め深く力強い私の主の言葉に支えられている。それこそ不思議な業であり、何より確かなしるしではないでしょうか。パウロは4章でこう言いました。「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」。それは、「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるため」なのだ、「この死ぬはずの私の身に、イエスの命が現れるため」なのだと。
 パウロはローマ5章で「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と言い、生み出された希望は「私たちを欺くことがありません」と言いました。なぜなら、「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」。
 苦難があなたを強くするから忍耐できるのではありません。苦難の中では弱い、そのあなたに与えられた聖霊によって、神の愛が注がれている。だから、「弱い時にこそ強い」とパウロは言い切ったのです。
 この希望、この力は、どこから来たのか。人の立派な行いや素晴らしい思想や経験によってではなく、聖霊によって神御自身の愛を注がれているからではなかったのか。「わたしたちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか」。
 私たちが弱い時に、「私の恵みはあなたに十分だ」と言って、魂の深みに届いてくださるお方がおられます。この恵みを聖霊ご自身が私たちの内に証ししてくださるから、私たちはいつでもどこでも、キリストのものとして生きられます。この恵みの事実をこそ伝え、受け渡して行きたいのです。