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今週の説教

あなた方は神の神殿

説教要旨(5月15日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙一 3:16-17
牧師 加藤英徳

 あなた方は「神の建物」だと、パウロは教会を建物にたとえましたが、それは単なる建物ではなく、「神殿」なのだと言います。なぜなら「神の霊が自分たちの内に住んでいる」からだと。ところが、コリントの信徒たちはそれを忘れてしまっている。それで、「神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と問いかけます。これは私たちのことでもあります。神の霊が「自分たちの内に住んでいる」ことを知っているかと問われると、「よく分からない」「実感できない」という人も少なくないでしょう。神の霊の内住の事実を、心臓の鼓動のように実感できるなら、「知らないのか」と問う必要もありません。霊について実感ということがあるとすれば、信仰から来る感覚です。信仰も人の知恵によらない神の霊の働きによりますし、霊は「信仰の霊」(2コリント4:13)なのです。
 神とその恵みを知るためには、人間の知恵は全く役に立ちません。世界中の知性を集めても、信仰を起こすことはできません。逆なのです。神の霊が私たちの知性を新たにし、神の霊が私たちの知性や感性を用いられるのです。知性・五感で神の霊を捉えることはできませんが、霊は私たちの感覚に働かれるので、「分かる」のです。
 信仰の霊は私たちに「イエス・キリスト」の信仰を与え、私たちはキリストによって神を知り、救いを確信させられました。「聖霊によらなければだれも『イエスは主である』とは言えない」(12:3)のであり、この告白こそ「土台」であり、神の霊の内住が「自分が神の神殿」であることの証しです。これは聖霊による確信で、これを超える確かさはあり得ません。「確信」について、パウロはローマ8章で歌い上げるように語ります。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」。
 「確信している」という言葉は、「説得する・好意を得る」という言葉の受け身で、言わば「口説かれている」ことです。神は私たちを口説いておられます。人を口説くとき、無理強いは効きません。好意を得ようと、手を替え品を替え言葉を変え、何とか分かってほしいとアプローチします。神はそのように、私たちに尽くされたのです。そして私たちが真の命に生きるために御子をさえ死に渡してしまわれた。「これらのことについて何と言ったらよいだろうか。…わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか!」(ローマ8:32)。
 私の主はこれほどまでにして私を口説かれた。神の愛に触れられているとは、こういうことでしょう。「わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。…わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです」(2:10-12)。これは生まれながらの「自然の人」には「愚か」です。しかし私たちは愛なる神に口説かれ、神のもの、神の宝、神の子、神から生まれた者とされています。だから「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされる」との厳しい言葉も分かる。神の神殿は「聖なるもの」、つまり神のものとして取られたものだからです。
 「神殿」はもともと「幕屋」で、神への近づき方・出会い方を表したものです。その中心には至聖所がありました。しかし、イエスが十字架で死なれた時、至聖所と外界との隔ての垂れ幕が真っ二つに裂けてしまいました。そして今や、主の霊を注がれている私たち自身が神の神殿であり、神と直接お会いする至聖所なのです。