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共に座っている

「たまちゃんの部屋」へようこそ!そして、おまたせしました<m(__)m>。
 今回は、Amenaさんが色鉛筆で描いてくれました。絵本を書きたくなるような、ほのぼのとした風景。赤毛のアンのように、想像の翼を広げて、この教会の扉の奥を想像してみました(*^_^*)
 
 「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」
 (旧約聖書 詩編133編1節)
 
 「兄弟が座っている」のは、礼拝するため。そこにいる人たちというのは、「兄弟」といっても血のつながった家族ではなくて、神様につながっている家族のことです。その「兄弟」は、人種、環境、性格も違う。そうだから、利害関係や緊張関係も時に起こります。”並んで座るなんて無理、無理”、そう思うのだけれども、「共に座っている」、この扉の奥で・・・。
 なぜでしょう?それは、特に「礼拝」という場は、イエス様の圧倒的な祝福が、どの「兄弟」の上にも、まるで滴る香油、滴る露のようにたっぷり、注がれるから。そして、そのイエス様を見上げているから、共に座っていられる。そういう信仰者の一致の出来事、奇跡的な出来事を経験した人は、「なんという恵み、なんという喜び」と高らかに歌わないではいられない。それが、”イエス様との交わり”の醍醐味です。
 恩師(牧師)の言葉を思い出します。「青年が壮年となり、老齢の者となって、孤独と苦痛の中に置かれたとき、何に助けられるのでしょうか。歩んできた過去とそこに示された神の憐れみを思うことが、この人を支えます。ここ一番の試練の時に、信仰の群れの中で育てられたことが、この人を支えます」。信仰の群れの中で育てられ、愛されてきた私も、本当にそうだな~と思う一人です。
 あなたにも、この無上の喜びを経験してほしいと心から願っています。

 
「教会の前に咲く桜(色鉛筆画)」Amena

 
(2015/4/15)