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「安心しなさい。立ちなさい。あなたをお呼びだ」

 こんにちは!(^O^)/。
 過ごしやすい季節を迎えましたね。いかがお過ごしですか。
私は運動不足もあって(実は体重が増え続け(>_<))、ウォーキングを始めました。
先日、コースを変更し、川沿いを歩いてみると、コスモスの花が秋風に揺られていました。
「ほっ」とする幸せな時間でしたよ。

 今回は、イエス様の私たちに対するお心がよく分かる「聖書の言葉」をお伝えします。
 『新約聖書』の中に、エリコで物乞いをしていた盲人バルティマイさんが登場します(「マルコによる福音書」第10章46節以下)。彼は、イエス様に向かって、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください(癒してください)」と叫び続けました。イエス様はどうなさったと思いますか?叫ばれた(呼ばれた)のですから応答された?それとも、旅を急がれ通り過ぎてしまわれた?
 イエス様はまず、その足をお止めになり、彼に目を留め、さらにご自分の方に来るようお呼びなりました。つまり、応答されたのでした。そして、そこに居た人々は、イエス様のお言葉を取り次ぐようにして、次の3つのことを言いました。
 
 「安心しなさい。立ちなさい。あなたをお呼びだ」。
 
 「安心しなさい」というのは、<元気を出せ、慰められよ>という意味です。あんなにわめき、叫び続けていたけれども、もうこれからは心配しなくてもいい。なぜなら、あのお方があなたの心配も何もかもお引き受けくださったのだから、ということです。「立ちなさい」というのは、イエス様の憐れみ(癒し)に頼って「立ち上がれ」という意味です。あのお方に寄りすがれば、必ず、立ち上がれるよ、ということです。「あなたをお呼びだ」というのは、今、わたしのもとに来よと「あなたを呼んでおられる」ということなんです。この3つのお言葉は、イエス様の私たちに対するお心でもあります。
 
 私は、はじめて教会に行ったのは看護学校一年生の冬でした。深刻な病に襲われている方の看護、特に死の看取りに際して<信仰>が必要だなと強く思うようになったからです。そんな時に、いろんな理由が重なって、教会に行ってみたい気持ちになりました。今から思えば、心の拠り所、死より確かなものを求めていたように思います。あの頃は自分の願いばかりでしたが、自分の側の願いだけでは信仰生活(人生)は弱い、そう思うようになりました。信仰生活(人生)が本当に強くなるには、自分が呼んでいるだけではなくて、”あのお方が呼んでおられる、この私を!”ということに気づくことなんだって。そのことに気づいたときにはじめて、安心して、あのお方を呼ぶことができる、あのお方に寄りすがることができるのだと思うようになりました。
 
 夕礼拝で今、この「マルコによる福音書」のお話をしています。聞きに来てくれたら嬉しいな。
 次回は、10月下旬の予定です。またぜひ、「たまちゃんの部屋」をのぞいてみてね(^_-)-☆
 
(2015/10/12)