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新しい歩みに向かうあなたへ「神の決意表明」(イザヤ書46章3-4節)

  希望と不安が入り混じった「年度末」と呼ばれてしまうこの季節は、苦手だ。どこか忙しなく、落ちつかない。季節が移り変わっていくのと同時に、私たちの暮らしにも何かしらの変化があるからなのだろう。
 
 変化は、それぞれに様々な形で起こる。
住み慣れた土地を離れて、新しい土地での生活を始める人。
過ごし慣れた場所を離れて、新しい場所で、全く新しい生活を始める人。
今までの生活を軸にして、新しいことに挑戦していく人。
いろんな変化がある。
 
 しかし、変化に向かって行くことは、いつだって、「不安」が一緒だ。この「不安」という荷物は、鞄の中で大きな位置を占めて、重たい。お陰で、心や体の動きが鈍くなる。踏み出そうとする足をとめたり、伸ばそうとした手をひっこめさせたりする。決心を揺るがせ、弱気にさせる。“失敗したらどうするのか”“とか“うまくいかなかったら、どうなるのか”と心を後ろ向きにする。まったく困ったものだ。そして、私たちに「恐れ」を抱かせる。

そう、恐れを抱く私たちに、神さまは次のように言われる。
<わたしに聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。
あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。>
 私たちは、生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。しかも、神さまによって。神さまが、私たちをずっと、見守って来られたのだ。私たちの「命の始まりの時」を知っておられる。私の人生の始まりを知っておられるのだ。私たちには、生まれた時の記憶などないのに。
 
私たちに生まれた時の記憶はないが、ある時点から鮮明な記憶を持っている。忘れられない過去の出来事、トラウマになってしまった過去の出来事がある。喜びの記憶よりも、悲しみの記憶の方が強く残っていて、悲しみの強さによっては、記憶から削除していることもあるだろう。もっとこうだったら、もっとこうしていたら…。そう言って、これまでの人生を振り返ることがある。「今の人生に満足している」と言っても、傷ついた過去の記憶があって、やり直したい、変えたいと思うことが、私たちの中にある。
 
しかし、神さまは<あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた>と言う。神さまは「私が、あなたたちを生まれた時から負い、胎を出た時から担ってきたのだ」と言われる。
<あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。>
 
生まれた時から今に至るまで、神さまは「私」を知っておられた。過去のどうしようもない自分も、神さまは担ってくださった。自分を愛せない自分も、自分を肯定できない自分も、弱さを隠して強く見せてきた自分も、神さまは知っていてくださり、背負い、担ってくださった。
さらに、これまでと同じように、わたしたちが老いて白髪になるまで「その生涯を背負って行こう!」と神さまは言われるのだ。
 
「あなたたちの創造主として、あなたたちの神として、
わたしがあなたの生涯を担い、背負い、救い出す」
これが神さまの決意。私たちに向かって、神さまは御自身の決意を語ってくださった。この言葉を支えるのは神さまの「愛」である。神さまが御自身のうちに持っておられる、まことの愛によって、私たちを愛するがゆえの「神の決意表明」だ。
 
これからの人生も恐れる必要はなさそうだ。
だって、世界を造って、私たちを造った方が、「あなたの生涯を担い、背負い、救い出す」と言われるのだから。新しい明日に、向かって行こう!変化に向かって行こう!
大丈夫、神さまが一緒なのだから。