植村正久と社会問題
1. 「労働者はいらない」という発言をめぐって
植村正久について、「我輩の教会に車夫、職工の類はいらない」と述べ、労働者を教会から排除しようとした、という評価を目にすることがあります。この言葉は、どのような史料に基づくものなのでしょうか。また、植村は社会問題や労働問題を実際にはどのように考えていたのでしょうか。
これに近い発言は、社会運動家・片山潜の自伝に見いだすことができます。『植村正久と其の時代』にも、片山の自伝にある言葉として、「吾輩の教会にはハッピを着たものはいらない。労働者などはこなくても好い」という植村の発言が紹介されています。(『植村正久と其の時代』 第3巻、833ページ) この文章も含め、以下、引用にあたっては、原文の意味を損なわない範囲で、読みやすい現代語に改めています。
ここでは、この発言だけを取り出して評価するのではなく、片山の回想の前後関係と、植村自身が社会問題について残した説教・評論の双方を手がかりに、植村と社会問題との関わりを考えてみたいと思います。片山の自伝に出てくる文章は次のようなものです。
「耶蘇教会は全体から言えば、此の時分からもう富豪の手先であった。植村正久などでも予に向かって『吾輩の教会にはハッピを着たものはいらない。労働者などはこなくても好い』と言った。しかし植村の教会にはたくさんの番頭や商店諸会社社員がおった。」(片山潜『自傳』1922, 310ページ)
片山は後に社会主義運動・労働運動へと深く関わり、当時のキリスト教会が労働問題に十分向き合っていないことを厳しく批判するようになりました。そのような立場から書かれた自伝であることは、この記述を読む際にも念頭に置く必要があります。同時に、片山が、かつて植村のことを高く評価していたことも念頭におく必要があります。「小崎弘道や植村正久、井深梶之助といった人々が、熱心に福音(キリスト教の教え)を説いていました。思うに、当時の牧師たちは世間からの迫害を受けていたため、ただ純粋にその信仰だけに根ざして生きていたからです。30年後の今日においては、もちろん時代や社会の状況も違っていますが、これほど力強く、生き生きとした本物の信仰を持つ牧師の説教を聞くことは、もはや不可能です。」(片山潜『自傳』1922, 176ページ)
一方、この発言が実際にどのような場面で、どのような意図をもって語られたのかは、この記述だけからは明らかではありません。したがって、片山の証言を無視することも、この一言だけから植村が労働者一般を教会から排除しようとしていたと結論づけることも、いずれも慎重であるべきでしょう。
そこで次に、植村自身が社会問題や労働について何を語っていたのか、その説教や著作から見てみましょう。
2. 植村の社会問題への関心
植村正久と賀川豊彦は、社会問題への関わり方の違いから、しばしば対比されます。賀川が貧民救済や労働運動、農民運動、協同組合運動などに直接身を投じたのに対し、植村は、福音宣教と自立した教会の形成、信徒・伝道者の育成に生涯を通じて力を注ぎました。
「基督教徒と社會問題」という、1895年に『福音新報』に掲載された文章において、欧米のキリスト教徒が奴隷制の廃止や労働問題に取り組んできた歴史を引きながら、日本のキリスト者も霊的な事柄だけに閉じこもるのではなく、社会問題に深い関心を払うべきだと主張しています。家庭改良や一夫一婦制の確立、廃娼運動、貧民救済などの具体的課題を挙げて論じています。一方で植村は、神を抜きにした社会改良だけでは十分ではないと考えていました。
「(いまの世の中には)『神を抜きにした社会改良』や『キリストを抜きにした道徳』、『天国を忘れた現世』、そしてこれらに類する空しい試みが存在すると言わざるを得ません。そもそも、天の父(神)の深い慈しみや、イエス・キリストの十字架(の贖い)、そして正義が行われる場所である天国を語り明かし、それらを心から切実に求め抱くのでなければ、キリスト教徒が一夫一婦の道徳を守って家庭を清らかに保ち、親子や兄弟としての道を全うしたり、あるいは国家を発展させて人類全体の幸福を増進させたりすることなど到底できません。」(『植村全集』第4巻『教義編』、290ページ)
「労働の福音」という説教において、「彼は木匠(大工)に非ずや」(マルコ6:3)をテーマとし、イエス・キリスト自身がナザレの大工として汗を流して働いたことに着目した説教をおこなっています。労働の尊厳と価値を説き、勤労や労働者を軽視する風潮を批判するとともに、キリスト教が労働者の立場を高め、高尚な動機を与えるものであると論じています。
「キリストが大工(木工)となったのは『その謙遜(へりくだり)を示すためであった』と言う人がいますが、これは受け入れがたい説です。神が人間となったこと(インカーネーション)こそが謙遜の極みであって、人間の中で帝王であるか大工であるかなど、神から見れば何の違いもありません。……したがって、キリストは謙遜のために大工となったのではなく、労働そのものを尊重し、質素を貴ばれたからこそ、大工としての生活を送られたのです。」(『植村全集』第1巻『説教篇(上)』、143ページ)
ここには、職業によって人間の価値に上下を設けるのではなく、労働そのものに尊厳を認める植村の考え方が明確に表れています。
「慈善事業の発達」という、1902年に『福音新報』に掲載された記事では、工場の悲惨な状況や女工の救護、足尾銅山鉱毒事件による被害農民への同情、社会主義の台頭やストライキの発生といった当時の具体的な社会問題を取り上げています。孤児院や監獄伝道、出獄人保護、貧民救助など、キリスト教主義に基づく社会慈善・救済事業の発展と役割について述べています。そして、キリスト者にとっての慈善事業の意味を次のように述べています。
「慈善事業とは、失われた者を捜し求める天の父の愛に根ざし、十字架の血によってバプテスマ(洗礼)を受けたものでなければ、その主義を全うし、その目的を達することはできないのです。赤十字の事業も、その徽章(十字架のマーク)が掲げる主義によって実際上保護されなければ、その盛大さの中にすでに腐敗の芽を宿していないと保障することはできません。」(『植村全集』第5巻『教會篇』、578ページ)
「社会的の基督教」という、1891年に『福音新報』に掲載された文章では、当時の社会情勢に鑑み、演説や講壇の説教においてキリスト教を「社会的」に論じることが極めて重要であると訴えています。人々に対して自らの状況の悲しむべき点と、それを救い改めるキリスト教の力を悟らせるべきであると説いています。
「今日の伝道者は、日本の国情や時勢を観察し、その実情に深く通じ、自ら深く感激したうえで、社会に向けて熱心にキリスト教の必要性を説明する責任を負っています。この点から議論を起こして社会を覚醒させる(警醒する)ことは教会の義務です……。したがって、演説において、また時には説教壇の説教において、キリスト教を社会的な視点から議論することが極めて必要なのです。人々に自分たちの置かれた状況がいかに悲しむべきものであるかを悟らせ、キリスト教の力がそれを救うに十分であることを理解させなさい。そうすれば福音の伝播は大河が溢れ出るような勢いとなるでしょう。」(『植村全集』第5巻『教會篇』、533-535ページ)
米国からの書翰では、1888年にニューヨークから下谷教会員宛てに送った手紙の中で、欧米の拝金主義的な文明が生んだ著しい貧富の格差や弱者の困窮、社会主義の議論の沸騰を目撃した体験を記しています 。「キリスト教を社会の現況に適用し、その真理をもって今日の病を救わんとする精神」の重要性を告げ、日本においてもキリスト教と社会の関係を早期に明らかにする必要性を訴えています。
「私の察するところでは、欧米各国はどれも拝金主義(金を求めること)を根底とする財政・経済的な文明(理財的文明)がすでに頂点に達しており、数々の利益を生むと同時に数々の弊害を生み出し、貧富の格差は非常に甚だしくなって弱者は日に日に困窮した立場へと陥っています。ここで社会主義や虚無党などの恐ろしき議論が沸き立つように起こり、教会の中でもこれらに関する議論が紛々としています。キリスト教を現実の社会状況に適用し、その真理をもって今日の社会の病(弊害)を救おうとする精神が、教会の中に興ろうとしているように見受けられます。教会の内も外もこのようであれば、遅かれ早かれ欧米の文明はその進路を変え、より一層道徳的なものへと向かっていくと考えられます。
さて日本においては、教会の有志が今日からいち早くキリスト教と社会の関係を明らかにし、欧米の偏った理財的文明の失敗(二の舞)を踏むことなく、直ちに道徳的な文明へと国を進められるよう努めることが肝要です。」(『植村全集』第8巻『日記書翰その他』、279ページ)
3. 言論による社会問題への取り組み
植村は、片山潜や賀川豊彦のように、社会改革運動そのものに身を投じる道を選びませんでした。しかし、以上見てきたように、社会問題に無関心であったわけではありません。貧富の格差、労働問題、貧民救済、工場労働など、当時の社会が抱える問題に目を向け、キリスト教がそれらにどのように向き合うべきかを繰り返し論じています。
植村が生涯を通じて力を注いだのは、福音を宣べ伝え、自立した教会を形成し、信徒と伝道者を育てることでした。そして、教会形成と説教・評論などの言論を通して、社会に働きかけようとしました。
「労働者などはこなくても好い」という片山潜の回想が、どのような状況で語られた言葉なのかを確定することはできません。しかし、この一つの言葉だけで植村の社会観や労働観の全体を捉えることもできません。植村自身の説教や著作をあわせて読むことによって、社会の現実に目を向け、キリスト教の福音をその現実に生かそうとした、もう一つの植村の姿が見えてきます。