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メシア自身の警告

説教要旨(6月7日 朝礼拝より)
マタイによる福音書 24:15-31
牧師 藤盛勇紀

 前回から続き、イエス様が弟子たちに語られた言葉です。弟子たちが壮麗なエルサレム神殿に感動した時、イエス様はエルサレム神殿が完全に破壊し尽くされることを予告されました。弟子たちは驚きます。本当にそんなことが起こるとしたら、世の終わりの時だろう。それで弟子たちは、その時のことを「密かに」主に尋ねました。それに対する主のお言葉が語られています。直前の所でも、様々な恐ろしいことが起こると言われていました。しかし、それらが起こっても、「まだ世の終わりではない」と。だから、「人に惑わされるな」「慌てるな」と言われたのでした。
 今日の箇所では、「憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら」と、ダニエル書の言葉を想起して言われます。ダニエル書には、憎むべき者が王権を取り、神殿を荒廃させ、汚らわしい場所にしてしまうことも語られています。「そんなことがいつ起こるのか」、いつの時代の人も考えます。しかし、歴史を振り返ると、そうした恐ろしくおぞましいことは、何度も起こったのです。
 そして、イエス様が死なれた後、紀元70年、エルサレム神殿はローマ軍によって完全に破壊されてしまいました。まさに「一つの石も、他の石の上に残らない」ほどの破壊です。イエス様は、「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」と言われましたが、エルサレムが陥落したとき、エルサレムでは、人々は極端な餓えのために、自分が産んだばかりの子供を殺して食べてしまうという、地獄の様相を示しました。「世の終わり」としか言いようがありません。しかし、そういうことも歴史の中で繰り返されたことです。
 文字通りの「世の終わり」でなくても、そのただ中にいる人にとっては「もう世も終わり」という経験があります。絶望的な荒廃や破滅を経験するとき、いったいどうしたらよいのか。イエス様は、「逃げなさい」と言われます。ただ、逃げるにしても絶望して逃げるのではありません。「神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」。世界が経験しなかったような艱難の中でも、神が、救われる者たちのために「その期間を縮めてくださる」。神がそこを支配し、配慮しておられるのです。
 だから主は、「家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない」「上着を取りに帰ってはならない」と言われます。巨大な危機が迫ったとき、人は何か大事なものを抱えて逃げようとします。しかしイエス様は、着の身着のまま逃げろと言われます。世の終わりの苦難の時、私たちを本当に助けてくれるものは世には無いのです。神が配慮してくださることに信頼するしかありません。
 覚えておかなければならないことは、イエス様が最初に言われたことです。(4節)「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう」。今日の箇所でも言われます。「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである」。
 偽メシア、偽キリストはいつの時代にも現れます。旧統一協会の問題も同じです。私たちキリスト者は、「主の再び来たりたまふを待ち望む」のですが、偽キリストに騙されず、人に惑わされないために、どうしたらよいのでしょうか? 心配する必要はありません。
 主は言われます。「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来る」。その時は、誰が見ても明らかな仕方で来られます。30,31節に具体的なイメージが語られますが、イエス様が来られたら、誰でもはっきりと分かる。だから、イエス様を認めなかった世の人々は悲しむのです。しかし、主を信じる者は、心配不要です。慌てる必要もありません。
 この後聖餐に与ります。人となった神の御子イエスは、私たちを新しい命に生まれさせるために、ご自身の肉を裂き血を流して、死んでくださいました。だから私たちは、世の終わりまで、「主が来られるときまで」、主の死によって与えられた恵みを告げ知らせます。聖餐に与りながら、主に望みをおく者の希望を告げ知らせ、証しするのです。