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あなたのタレントを生かせ

説教要旨(7月5日 朝礼拝より)
マタイによる福音書 25:14-30
牧師 藤盛勇紀

 旅に出た「主人」(キリスト)は「かなり日がたってから」帰って来ます。長い間、僕たちは主人不在の時を生きるわけですが、主人は僕たちに、力に応じて「自分の財産」を預けました。タラントン(タレント)と言うと、能力や才能だ言われますが、僕たちにはすでにそれぞれに能力が与えられています。彼らに預けられたものは「主人の財産」です。預けるとは、託して委ねることです。主はご自身の宝を、僕が自分の宝のように使うよう期待して委ねたのです。なぜ、そこまでしてしまうのか? それは、私たち一人一人がその宝を用いて生きて、その実りと豊かさを、主は一緒に喜びたいからです。
 旅から帰った主人は、僕たちと精算をします。僕たちがもうけた額はそれぞれ違います。しかし主人は、5ラタントンもうけた者にも2タラントンもうけた者にも、全く同じように言いました。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と。預けた額ももうけた額は関係ありません。僕たちがそれを用い、生かし、生きたことを喜んでいるのです。
 私たちは、自分に委ねられた宝を用いて生かすことができます。ただ、それだけでは「自分に与えられたものを生かしましょう」で終わりです。しかし主は、この話を弟子たちに話しておられます。神殿から出て行く時、弟子たちは密かに「世の終わり」のことについて尋ねました。24章の初めからですが、そこで主が弟子たちに語った話が続いています。だからこの後、イエス様が「栄光に輝いて天使たちを皆従えて来る」終わりの時の裁きが語られ、次の26章では、「イエスを殺す計略」、主の十字架の死が目前となります。
 このたとえ話は、間もなく世を去るイエス様が、この地上に残される弟子たちに、どのように生きるべきかを教えておられるのです。主は再びご自分が世に来られる時、一緒に喜びたいのです。その時まで、宝を用いて生かして、より豊かになってほしいのです。
 さて、もう一人の僕は、主人の1タラントンを、「恐ろしくなって」土に埋めて隠します。盗まれることを恐れたのか、商売に失敗して厳しい罰を受けると恐れたのか、いずれにせよ、彼は主人を誤解しています。彼は、「あなたは蒔かない所から刈り取り…」と言いますが、勝手な決めつけです。主人は一人一人の力を知った上で、財産を委ねました。「蒔かない所から刈り取る」なんてことはしません。
 この僕が「悪い」のは、臆病になって、自分勝手な想像で決めつけてしまったからです。「怠け者の」とは、他の訳を見てみるとどれも「臆病な」。他にも、「臆病者」とか「度胸のない」です。この「臆病」がやっかいなのです。臆病の霊に取り憑かれたように、いつも「悪い方へ悪い方へ」と考え、「こんなことになったどうしよう」と心配している。
 黙示録21章で新天新地のビジョンが語られ、滅びを迎える者のことが列挙されます。「不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者…」と挙げられますが、実は、最初に挙げられるのは、「おくびょうな者」なのです。しかし、「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださった」(2テモテ1:7)。神は私たちに、神の力と愛が分かる霊を与えてくださいました。「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」。そして「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です」(ローマ8:15-17)。
 たとえ話の主人は、自分の財産を委ねましたが、私たちはどんな財産よりも尊いものをいただいています。それは主ご自身、主の命です。「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだった」(2コリント8:9)。この方の霊によって、私たちは神を「アッバ」と呼び、キリストと共同の相続人として、神の良いものを全ていただくのだと知ります。この霊が、私たちを「臆病の霊」から自由に大胆にするのです。