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主イエスに力を与えられ

説教要旨(8月14日)
ネヘミヤ記 第3章1-2節
ヨハネによる福音書 第5章1-9節前半
倉橋康夫

 本日の聖書個所の最初には、大勢の病人が登場します。祭りのさ中、大勢の人々がエルサレムに集まって来ていました。祭りの雰囲気とは対照的な、病人たちの1群がいたのです。そこは、エルサレム市内の<羊の門の傍ら>の、<ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池>の周りに設けられている<5つの回廊>です。
 ところで、<羊の門>は、併せて読んだネヘミヤ記 第3章に出ています。イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還して行なったことは、第2神殿の建築、エルサレム城壁の再建、律法の確立でした。この一連の事業は、信仰共同体としての一体感を確認するものでした。ネヘミヤは、城壁再建の監督となり、最初に着手したのが「羊の門」だったのです。
 この<羊の門>の傍らに、<ベトザタ>と呼ばれる池がありました。そこは、病気を癒す神を祭る場所でした。その池の回廊に、<病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた>のです。これらの病人たちは、池の不思議な力、しかも迷信的な力に頼ろうとしていたのです。池の水が動いた時に発揮するとされる、不思議な癒しの力を信じるしか仕方がなかったのです。
 主イエスは1人の病人に目を留められ、その人が<もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」>、と声を掛けられます。一見愚問とさえ思える、主イエスのこの問い掛けは、この病人の心の状態を見透かしたものでした。魂への呼び掛けです。この病人は、「そうです、治りたいのです!」、と素直に答えることのできない状態でした。この病人は、力なく訴えます。<「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」>、と。最初は、希望を抱いてこの池にやって来たのに、今は、ただ身を横たえて、死を待っているだけでした。しかも、今の自分の不幸な状態を他人のせいにして。隣人への絶望、治ることへの絶望に身を委ねて。
 主イエスは、この病人のそのような問題性を見抜いた上で、突然命じられます。<「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」>、と。そんなことができる位なら、何も苦労はしない、と反発するところです。しかし、主イエスの命令は、呼び掛けてあり、招きです。その人は、この主イエスのお言葉に励まされて、その命令に従います。そして、実際にできたと、聖書は伝えております。<9 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。>、と。
 ここには、主イエスが起こして下さった奇跡が語られています。表向きは、病気の癒しですが、内面的には、諦めと絶望から立ち上がることができた、ということです。主イエスの奇跡・力ある業の神髄は、この内面の変革にこそあるのです。主イエスのお言葉には裏付けがあります。それは、信じて従う者には、主イエスご自身が必要な力を与えて下さる、ということです。
 扨て、この人は命じられたように、<床を担いで歩きだした>のです。この<床>は、ただ死を待つしかないという絶望に身を任せて横たわっていた所、絶望へと向かわせた場所です。いわば、死にゆく存在としての根源的な苦悩を象徴する所です。それを、「罪」と表現することができます。
 主イエスは、<床を担いで歩きなさい>と言われます。主イエスが、最も重い十字架を担い、根源的な苦悩を引き受けて下さいました。その上で、私たちに、自分の十字架を負って、私に従え、と求められます。私たちは、尚苦悩の只中にあります。苦悩の現実・罪の現実を担わなければなりません。けれども、揺るぎない希望に支えられて、生きていけます。主イエス・キリストの死者の中からの復活の事実が、私たちに、確かな希望を約束しているからです。
 

説教一覧(2011年度)

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2011.05.01
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2011.05.08
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2011.05.15
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永遠の命と裁き
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2011.06.05
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2011.10.02
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2011.10.16
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苦難と希望
2011.10.30
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2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
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2011.12.04
主イエスのもとへ
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去るか留まるか
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