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御国の福音は全世界に

説教要旨(5月17日 朝礼拝より)
マタイによる福音書 24:1-14
牧師 藤盛勇紀

 弟子たちの目は、改めて壮麗な神殿に捕らえられていますが、主は意外なことを言われます。「はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」。この壮大な神殿が完全に破壊される。弟子たちは「ひそかに」尋ねます。「そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」。
 人生が順風満帆の時、ふと不安が差し込むことがあるように、栄光が逆に人を不安にさせることがあります。壮麗な神殿を見上げる弟子たちにも、不安の影が差したのでしょう。弟子たちの問いにイエス様は、「人に惑わされないように気をつけなさい」と言われます。私たちは簡単に人の言葉に惑わされます。とくに現代人はフェイク・ニュースも含む情報洪水に流され溺れています。まさに「戦争の騒ぎや戦争のうわさ」も毎日聞きますし、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる」。今のことです。
 しかしイエス様は、「慌てないように気をつけなさい」と言われます。「そういうことは起こるに決まっている」。しかし「まだ世の終わりではない」からです。そう聞くと少し安心するかもしれませんが、主はこう言われます。「そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される」。そして「わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる」と。さらに「そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」。
 イエス様は「あなたがた」弟子たちに語っています。こういうことが世界に起こる、というだけではなく、「あなたがた」キリストの弟子たちつまり教会にも起こるのです。「イエスは主」と信じる教会でさえ、「多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合う」。そして「偽預言者(偽キリスト)も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」と。こう聞くとまた恐ろしくなりますが、これも今起こっていることです。
 イエス様はすでに弟子たちに教えられました。「天の国はこのようなものである」と、立て続けにたとえで語られた「天の国(神の国)」(13章)は、イエス様が地上を去った後、聖霊によって生まれる教会のことでした。その一連のたとえ話の中に「毒麦のたとえ」もありました。終わりの時まで、良い者も悪い者も共に育って行くのです。教会は、世の終わりまで常に問題や混乱があります。そして世の終わりに、神の御使いが良い者と悪い者をより分け、神ご自身がはっきりさせてくださる。だから地上の生活の中で、どれほど問題や混乱に悩まされても、人に惑わされず、慌てずに歩み続けるのです。人に惑わさて慌ててしまうと、私たちは自分で決着をつけたくなります。しかし、決着をつけるのは私たちの仕事ではありません。終わりに仕上げをするのは、神ご自身です。
 それまでの時、私たちは何をするのか? 自分のすることをする、自分に与えられた道を進むのです。私の人生は私しか経験できない。だから私が生きる。主が「耐え忍ぶ」と言われるのはそういうことです。「黙って目をつぶって我慢しろ」と言うのではありません。一人一人にそれぞれ人生がありますが、私たちに共通の務め、共通の経験があります。
 イエス様は、終わりの時が来る前に「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる」と言われます。「戦争の騒ぎや戦争のうわさ」は止むことはありません。「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」(ルカ21:11)。私たち自身、病気にもなり、天変地異や異常気象も止みません。不慮の事故に遭うことだってあるでしょう。
 それでも、私たちは福音の種を蒔き続けます。様々な問題に悩まされながらも、福音を伝え続けます。私たちのその歩みに、キリストの恵み、イエスの命が現されるのです。それを私たちは味わい続けることができます。だから、私たちの忍耐には希望があります。慰めもあり癒やしも経験する忍耐なのです。主は、「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束して、実際、今日も共に歩んでくださっています。この事実を知っている人は何と幸いなことでしょうか。