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望み得ないときの望み

説教要旨(6月30日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 4:13-25
牧師 藤盛勇紀

 パウロは引き続き信仰の父アブラハムのことを語りますが、アブラハムを理想化し過ぎているのではないかと感じられないでしょうか。主なる神はある時、アブラハムと妻サラとの間に男の子が生まれると約束を与えられました。ところがブラハムはその約束を聞いて笑います(17章)。「こんな年寄りにあり得ない」という不信仰の笑いです。18章では、今度は妻のサラが「ひそかに笑った」のを主から指摘されます。しかし、約束通り男の子イサクが生まれます。「イサク」とは「彼は笑う」という意味。
 パウロはこの点をあえて無視するかのように、「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて信じ」と言います。そして「彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした」と。
 アブラハムも妻サラも子を産めないことを知っていました。つまり人間の現実を見れば、神の約束は不可能だった。にもかかわらずなお望み、信じたというのです。「希望するすべもなかった」、にもかかわらず「なお希望を抱く」とはいったい何か?実はこの文には「希望」という言葉が二つあり、直訳的な翻訳は、「希望に反して、希望を信じた」としています。
 言葉は矛盾しています。しかしアブラハムの信仰はそのような信仰なのです。アブラハムは、サラが子を産むとは信じられず、希望を持てなかった、だから笑った。しかし、その「望み得ない」という不信仰、そのネガティブなものを抱え込んだまま、それをひっくり返しているのがアブラハムの信仰なのです。新約聖書におけるパウロ、キリストに結ばれた者は、旧約のアブラハムの信仰をそのように見ます。アブラハムは「希望するすべもなかった」。しかし、その「人間の希望」を否定して、「神が見ておられる希望」を信じたのです。この矛盾とも言うべき何か、あの時には隠されていた信仰の真実をパウロはキリストを通して発見しているのです。それで、パウロは言います、「存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ」たと。アブラハムは確かに笑った、信じられなかった。なのに、《存在していないものを呼び出して存在させる神、無から有を生み出すあのお方を、信じた》のです。
 私たちは不信仰。《信仰が無い》者です。だから全ての人間が罪人。神を信じることは人間には不可能だった。しかし神には不可能ではないのです。ある時、イエス様は「それでは、だれが救われるのだろうか」と戸惑う弟子たちに、「人間にできることではないが、神にはできる」と言われました。
 私たちは、もとより「できない人間」です。信仰の無い人間、希望が持てない人間、不可能な人間なのです。しかし、その「できない人間」である私たちを、神は愛と憐れみをもってご覧になって、神の信実と神の命の内に、私たち自身を見出すことができるように、御子イエス・キリストによって命をお与えくださいました。この神の信実が、私たちの内に信頼・信仰を引き起こすのです。
 「さあ、受けよ」と差し出されています。なのに、背を向けているから気づかないのです。光に背を向けているから、自分の前に見える影の暗さしか信じられない。背後から真の光が照らしているのに。しかしそれに気づいた時、私たちが身をひるがえして振り返った時に、自分の影を見て暗くなっていた自分を笑うことができます。
 アブラハムの妻サラが笑った時にも、主は言われました。「主に不可能なことがあろうか」。この不信仰な人間を見つめながら約束を語ってくださる神の可能性が、不信仰な人間に信仰を生み出します。神の信実が、私たちに信仰を引き起こし、神が見ておられるビジョンが私たちの希望なのです。

説教一覧(2019年度)

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2019.6.2
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2019.12.8
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