ホーム | 説教 | 説教(2019年度) | 神の怒りと憐み

神の怒りと憐れみ

説教要旨(3月15日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 9:19-24
牧師 藤盛勇紀

 直前にこうあります。「このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです」。これを聞くと、多くの人は「だったら、人間にはどうにもならないじゃないか」と思い、こう言うでしょう。「ではなぜ、神はなお人を責めるのか!」「神が一方的に決定するなら、人間は逆らえないじゃないか。なのに神は人間を責めるのか!」
 神を糾弾する人間の態度は決して珍しいことではなく、古代から現代まで全く変わりません。悲惨な出来事が起こったり、過酷で悲惨な経験をする時、人間は神に怒りを向け爆発させます。
 神に選ばれたはずのイスラエルにも悲惨で過酷な経験があります。バビロン捕囚が最大のものでしょう。バビロンはエルサレムを滅ぼし、ユダヤの王ゼデキヤを捕らえ、言語に絶する悲惨を味わわせました(列王下25:7)。神殿は破壊され、全てが奪われ汚され、神の選びの民の国が滅びる。いったい誰が、こんな残酷な終わりを受け入れることができるでしょうか。
 パウロは焼き物師と器の例を語っていますが、預言者エレミヤの有名なエピソードです(エレミヤ18章)。エレミヤは、ユダヤの滅亡を経験した預言者でした。その頃も人々は預言者をあざ笑い愚弄しました。預言者は、主の言葉を語ることも聞くこともいかに難しいことかと思い知らされます。エレミヤは、陶工の家に行けと神から命じられ、そこで見たものは、造る者と造られた物との関係でした。そして、この関係は決してひっくり返すことはできないのだと。
 パウロはそれを語っています。神に選ばれ愛されたはずのイスラエルの民がなぜか捨てられ、キリストに結ばれた新しい民(教会)が選ばれる。この出来事の不思議です。それは、あのエレミヤも見た陶工と器の関係なのだ。この関係が分からないと、福音が分からないのです。「福音」は、幸いのおとずれ、良き知らせです。しかし人間がひっくり返っているから、良い知らせとして聞けず、喜ぶこともできず、かえって口を尖らせて文句を言うのです。転倒し、逆さまになっている人間、それが罪の姿です。だから、人間はもう一度、一回転し、翻らなければならないのです。
 パウロは、「人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か!」と怒るように叫びます。人間は、自分が主ではないことを知っていながらそれを認めず、滅びへ向かう。この段になっては、ゆっくり優しく説くのは無駄です。人生は短く、危機は迫り、時間切れということがあるのです。「こんなことがあってよいのか」と思わされる不条理に直面した時、そこで人間は神に取って代わってしまう。しかし、そこでこそ、神が自由に決定なさる方であることが分からなければなりません。それが分からなければ、あのイエス・キリストの十字架で現されたことが分からなくなるからです。
 神はある者を選びある者を捨て、ある者を憐れみある者を頑なにされます。それは、神は勝手気ままな専制君主だということではありません。そうではなく、神はその完全な自由をもって、転倒した罪人を救うために、ご自分の最も大切な独り子を十字架につけてしまわれた。その神の自由による恵みを知らせるためなのです。
 十字架につけられたイエスには、《愛されるはずの方が捨てられて殺され》、逆に《殺されて捨てられるはずの者が生かされる》という、究極の転倒・交換があります。それが「贖い」です。これは、まったく私たちの何かによらず、ただ神が愛の自由によってなさった恵みの御業です。
 「命を受けよ」と神は叫んでおられます。自分の口を閉じ目を閉じて、十字架の神の叫びを聞くべきです。その時、騒ぎ立つ思いは静められ、自分が《神の憐れみの器、恵みの器だった》と分かってくるのです。
 

説教一覧(2019年度)

2019.4.7
神の愛の怒り
2019.4.14
正しい者は一人もいない
2019.4.21
私があなたと共に行く
2019.4.28
起きて神を呼べ
2019.5.5
行いによらず、恵みによって
2019.5.12
信仰によって現実を生きる
2019.5.19
イエスの血による贖い
2019.5.26
価を払わずに得よ
2019.6.2
父祖アブラハム
2019.6.9
聖霊の力を受けて
2019.6.16
神さまから与えられた家族
2019.6.23
主にある救い
2019.6.30
望み得ないときの望み
2019.7.7
希望は生まれる
2019.7.14
賛美の湧き出る泉
2019.7.21
神との和解
2019.7.28
罪人を愛する神
2019.8.4
神を誇る
2019.8.11
アンバランスな恵み
2019.8.18
恵みは満ちあふれる
2019.8.25
第二のスタート
2019.9.1
死から生きる
2019.9.8
上を見て生きる
2019.9.15
神から派遣されて
2019.9.22
賜物としての命
2019.9.29
きっぱりと捨てよう
2019.10.6
まず砕かれてこそ
2019.10.13 朝礼拝
土の器なれど
2019.10.13 夕礼拝
時が迫っているから
2019.10.20
絶望から生まれた信頼
2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
私たちは神の子
2019.11.24
神の子とされて
2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
祈れない時にも
2019.12.15
万事が益となる
2019.12.22
人となった神
2019.12.29
神の主権と深い愛
2020.1.5
神が味方ならば
2020.1.12
宿命をも破る主
2020.1.19
決して離さぬ愛
2020.1.26
神の友になりなさい
2020.2.2
愛されている確信
2020.2.9
主にあって
2020.2.16
同胞のための冒険
2020.2.23
血よりも濃く
2020.3.1
神の不思議な選び
2020.3.8
イエスを主とする仲間
2020.3.15
神の怒りと憐み
2020.3.22
生きて残された者
2020.3.29
救いは向こうから来る