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神の友になりなさい

説教要旨(1月26日 朝礼拝より)
ヤコブの手紙 4:4-10
牧師 新佐依子

 私たちが義とされたのは、私たちが何か正しい行いをしたからではなく、ただイエス様への信仰によるものである――いわゆる「信仰義認」と言われるものです。しかし、ならば私たちキリスト者はどんな生き方をしていてもいいのかといえば、そうではありません。私たちは神様の呼びかけに応えて、自分の手でイエス様の十字架の恵みを受け取ったのですから、自ら神様に応える者としての生き方が求められるのです。
 実話かどうかは分かりませんが、こんな話を聞いたことがあります。ある店に泥棒が入りました。気づいた店の人は、その泥棒を取り押さえて言いました。「お前、こんなことをして、許さんぞ。」するとその泥棒は「でも神様はゆるしてくれるよ」と答えたというのです。
 この泥棒の言うことは、ある意味で正しいことです。洗礼を受けてイエス様の霊をいただいている私たちは、どんな生き方をしようと、永遠の命に生きることが約束されています。だからこの泥棒の言うことは間違ってはいません。しかし泥棒自身はそれでいいでしょうが、神様の方はどうでしょう。神様はこの泥棒のしたことを悲しんでおられます。私たちの神様は、ご自分のものとされた私たちのことで喜んだり悲しんだりしてくださる、感情豊かな「生ける神」です。私たちは、この神様の恵みの呼びかけに応えたのですから、神様の感情に無頓着であってはならないのです。
 今日お読みしましたヤコブ書の箇所では、「世の友となってはいけない」(4節)ということが言われていました。「世の友」とは「神の友でない」ことです。ですから「世の友となってはいけない」というのは、「神の友となりなさい」ということなのです。
 聖書には、キリスト者のことを神様の「友」と呼んでいるところがいくつかあります。福音書ではイエス様が弟子たちのことを「友」と呼んでおられますし、ヤコブ書2:23では「アブラハムは神の友と呼ばれた」と言われています。ですから、私たちが神様に応えて生きるということは、「神の友」として生きるということでもあるのです。
 友人関係というのは、他のどんな関係とも違う、特別なものです。よく「感情で物を言ってはいけない」ということが言われますが、友人というのは感情で物を言ってもいい間柄です。家族にさえ見せられない涙も、友人の前でなら流せるということがあります。愚痴や泣き言も、友達なら「うん、うん」とうなずきながら聞いてくれます。嬉しいときは一緒に祝杯を挙げてくれます。泣いてもいいのです。八つ当たりしてもいいのです。友達ならゆるされます。だからこそイエス様は、人として世に来てくださったとき、友なき人の「友達」になって下さったのです。
 今日は旧約聖書から、『出エジプト記』32:9-14を読みました。ここでは、モーセの前で神様が怒りを爆発させて、それをモーセがなだめて説得するという、どちらが神様でどちらが人間だか分からないような話が書かれています。そしてこのすぐ後のところでは、「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」(出33:11)と言われているのです。神様は私たちと、お互いに感情で物を言える間柄として関わりあうことを望んで下さっています。それは「ねたむほどに深い愛」です(5節)。だから神様は、私たちが神様以外のものに心を奪われると、激しく憤られるのです。
 これほどに激しく豊かな神様の感情に、私たちはあまりにも鈍感なのではないでしょうか。人間の友達には愚痴や泣き言を言うのに、神様には言わない。人間の顔色は窺うのに、神様の思いは気にかけない。でもそれでは、大切な独り子を十字架で死なせてまで私たちをご自分のものとしてくださった神様と、真の友情を結ぶことはできません。私たちはもっと神様と感情で物を言い合っていいし、言い合うべきなのです。神様はご自分の友に、「もっと豊かな恵みをくださる」(6節)御方なのですから。
 

説教一覧(2019年度)

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信仰によって現実を生きる
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