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正しい者は一人もいない

説教要旨(4月14日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 3:9-20
牧師 藤盛勇紀

 富士見町教会の創設者植村正久牧師が福沢諭吉と話をした時、福沢は「私は品行方正だ」と言って罪ということを全く理解せず、植村牧師は絶句したそうです。
 ここでパウロは、「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない」「律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」と言います。キリストを信じる者たち(教会)を迫害していたパウロは、生けるキリストと出会って、「目からうろこ」(使徒9:18)の経験をします。ユダヤ人は思っていました、「我々は神から与えられた律法を持つ民。異邦人とは違う」と。それが優越感となり、いわゆる選民意識となります。彼らにとって神の言葉である律法は、自分が高く昇るためのステップとなった。
 ところがパウロは、「ユダヤ人もギリシア人も(全ての人間は)皆、罪の下にある」「正しい者はいない。一人もいない」と、聖書の言葉から言い切ります。この事実の再発見から、改めてファリサイ派に代表されるユダヤ人の姿、自分自身の姿を見たのです。パウロ自身ファリサイ派。律法を守り、誠実に真面目に生きる人たちです。しかもパウロは、律法の義について自分は「非のうちどころがない」と言えた人間です。
 ところが、生けるキリストと出会って「目からうろこ」。そこで何を見たのか? 神の前で人間は皆ひっくり返っている事実です。律法をステップとして上へと昇って行っているつもりが、実は激しく落ちていた。
 律法とは何だったのか? 神の救いの恵みに与ったイスラエル・神の民が、神の御心に相応しく生きるために、神がモーセを通して与えて下さったものです。民に方向を与え、道を踏み外すことから守ってくれるガイドラインでありガードレールです。
 ガードレールに車をこすりつけたら冷や汗をかきます。「そっではない! こっちだ!」と修正させられるのです。律法も、私たちがぶつかり衝突するものなのです。
 イエス様はその律法を徹底させて言われました。「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」(マタイ5:27~29)。
 どれほど外面を品行方正に保っていたとしても、内面を覗かれたらどうでしょう。いったい誰が「品行方正」だなどと言えますか。自分を「律法の点では非の打ち所のない者」だと言い切ったパウロは、それに続いて何と言ったか。そんなものは「塵あくた」「糞土」だ!
 イエス様は、「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われました。「品行方正」というものがなぜか人を気持ち悪くさせるのは、理由があるのです。律法が生ける神の言葉で、私たちの内面をご覧になる神の視線だとしたら、私たちは自分の正しさを誇ることなんかできるはずがありません。
 律法によって私たちは自分が裸だと知らされます。隠しようのない醜さが見透かされ、いたたまれなくなります。自分が裸だと悟ったアダムは、神の目を避けて木の間に隠れました。しかし神は、そんなアダムを呼ばれます。「あなたはどこにいるのか」。アダムを見失ったのではありません。神をあなどり、神に背き、その罪ゆえに隠れるアダムを見て、呼びかけるのです。「アダムよ、背いたことは分かっている。私はあなたたちと蛇とのやりとりを見、あなたが私を裏切るのを見ていた。しかしアダムよ、私の前に出てこないか」と。
 神の律法の中に、神の憐れみに満ちた呼びかけがあるのです。「あなたはどこにいるのか」「そっちではない、こっちだ」。神の御子イエスは、正しい人のためにでなく罪人のために来られ、その罪を担って御自分の命をもって贖い取ってくださいました。この方こそ、私たちの真の希望なのです。

説教一覧(2019年度)

2019.4.7
神の愛の怒り
2019.4.14
正しい者は一人もいない
2019.4.21
私があなたと共に行く
2019.4.28
起きて神を呼べ
2019.5.5
行いによらず、恵みによって
2019.5.12
信仰によって現実を生きる
2019.5.19
イエスの血による贖い
2019.5.26
価を払わずに得よ
2019.6.2
父祖アブラハム
2019.6.9
聖霊の力を受けて
2019.6.16
神さまから与えられた家族
2019.6.23
主にある救い
2019.6.30
望み得ないときの望み
2019.7.7
希望は生まれる
2019.7.14
賛美の湧き出る泉
2019.7.21
神との和解
2019.7.28
罪人を愛する神
2019.8.4
神を誇る
2019.8.11
アンバランスな恵み
2019.8.18
恵みは満ちあふれる
2019.8.25
第二のスタート
2019.9.1
死から生きる
2019.9.8
上を見て生きる
2019.9.15
神から派遣されて
2019.9.22
賜物としての命
2019.9.29
きっぱりと捨てよう
2019.10.6
まず砕かれてこそ
2019.10.13 朝礼拝
土の器なれど
2019.10.13 夕礼拝
時が迫っているから
2019.10.20
絶望から生まれた信頼
2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
私たちは神の子
2019.11.24
神の子とされて
2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
祈れない時にも
2019.12.15
万事が益となる
2019.12.22
人となった神
2019.12.29
神の主権と深い愛
2020.1.5
神が味方ならば
2020.1.12
宿命をも破る主
2020.1.19
決して離さぬ愛
2020.1.26
神の友になりなさい
2020.2.2
愛されている確信
2020.2.9
主にあって
2020.2.16
同胞のための冒険
2020.2.23
血よりも濃く
2020.3.1
神の不思議な選び
2020.3.8
イエスを主とする仲間
2020.3.15
神の怒りと憐み
2020.3.22
生きて残された者
2020.3.29
救いは向こうから来る