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神の子らよ現れよ

説教要旨(12月1日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 8:18-25
牧師 藤盛勇紀

 直前の箇所でパウロは、キリストに結ばれている者は、「神の子」とされていることを語りました。そしてこの箇所では、不思議な言い方ですが、私たちが神の子として生きることを「被造物」が「切に待ち望んでいる」と言うのです。「被造物」とは、石や木や動物、全ての自然。それが切なる思いをもって「神の子たちの現れるのを」待ち望み、「今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」というのです。しかも、私たちはそれを「知っています」と。おそらく誰もが戸惑うでしょう。
 木や石が希望を持ったり、うめいたり、という考えは、モノに霊が宿っているというアニミズムや汎神論とは違うのか? もちろんパウロはそんなことを考えているわけではありません。木や石に魂が宿るという素朴な感覚やアニミズムでは、石が「神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいる」という希望を読み取ることはできません。
 ある神学者が言いました。「植物や動物だけではなく、石や金属でさえも、憧れを抱くものであるのです」。どういうことでしょうか? 「そんなことあるもんか」「怪しいことを言っている」と思うでしょう。
 しかし、「そんなのはおかしい」というあなたの判断は、あなたが石や金属そのものだけを観察するからです。石を見て「これが希望なんか持つはずがない。意志なんかない」と思う。その視点に欠けているのは、それを造り存在させた造り主なる神です。
 石を見るとき、見るべきは石そのものだけでなく、石を造られたお方です。イエス様はこう言われました。「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」(ルカ19:40)。人間が主を呼び、主なる神を讃える。もし人々が黙ってしまうならば、石が代わりに叫び出すと。つまり、《被造物は何のためにあるのか》《この世界は何のためか》なのです。それは、私たちが神と共に生き、喜びと感謝のうちに神を讃えるためです。神が造り存在させてくださったこの被造世界は、人が神と共に生きる舞台なのだ、という理解です。「日よ、月よ、主を賛美せよ。輝く星よ、主を賛美せよ。天の上にある水よ、主を賛美せよ」(詩編148編)。
 こうした被造物の存在の意味や目的を知ろうとしないから、被造物のうめきが分からず、私たちの責任が問われていることが分からないのです。いったい被造物は何のために造られたのか? その存在に何か意味があるのか? 神が造られたのでないとすれば、そもそも自然に意味などありません、ただ在るだけです。しかし、「造られたもの」ならば意味がある、意図があるからです。それは、造り主なる神と人間との交わりの舞台。だから自然界全体が「求めている」のです。「神の子たちの現れるのを」。
 私たちが御子イエスに結ばれて神の子として生きるなら、この被造世界はその存在の意味が満たされ、全うされます。だから、石ころさえ、それを待っている。なのに、肝心の私たち人間が神から離れ、自分が何なのか分からなくなっている。被造物はその巻き添えを食って、「虚無に服している」のです。
 私たちが神の子とされるのは、私個人の救いという、ちっぽけなことに関わるだけではなく、全世界、全被造物と関わります。全被造物が、「神の子たちの栄光に輝く自由にあずかれる」希望を持って、切なる思いを持って今も存在し、私たちが神の子となることを切望しているのです。
 私たちが神の子として生きるために、真の神の御子が一人の人間となって、到来されました。それを私たちが受け止めず、私たち自身が神の子であることを知らず、真の神を知らないまま、なお私たちが黙っているならば、石が叫び出すでしょう。
 私たちは、石ころからさえ促され励まされているのです。神の子らよ! 現れよ! 神の子として生きよ!と。

説教一覧(2019年度)

2019.4.7
神の愛の怒り
2019.4.14
正しい者は一人もいない
2019.4.21
私があなたと共に行く
2019.4.28
起きて神を呼べ
2019.5.5
行いによらず、恵みによって
2019.5.12
信仰によって現実を生きる
2019.5.19
イエスの血による贖い
2019.5.26
価を払わずに得よ
2019.6.2
父祖アブラハム
2019.6.9
聖霊の力を受けて
2019.6.16
神さまから与えられた家族
2019.6.23
主にある救い
2019.6.30
望み得ないときの望み
2019.7.7
希望は生まれる
2019.7.14
賛美の湧き出る泉
2019.7.21
神との和解
2019.7.28
罪人を愛する神
2019.8.4
神を誇る
2019.8.11
アンバランスな恵み
2019.8.18
恵みは満ちあふれる
2019.8.25
第二のスタート
2019.9.1
死から生きる
2019.9.8
上を見て生きる
2019.9.15
神から派遣されて
2019.9.22
賜物としての命
2019.9.29
きっぱりと捨てよう
2019.10.6
まず砕かれてこそ
2019.10.13 朝礼拝
土の器なれど
2019.10.13 夕礼拝
時が迫っているから
2019.10.20
絶望から生まれた信頼
2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
私たちは神の子
2019.11.24
神の子とされて
2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
祈れない時にも
2019.12.15
万事が益となる
2019.12.22
人となった神
2019.12.29
神の主権と深い愛
2020.1.5
神が味方ならば
2020.1.12
宿命をも破る主
2020.1.19
決して離さぬ愛
2020.1.26
神の友になりなさい
2020.2.2
愛されている確信
2020.2.9
主にあって
2020.2.16
同胞のための冒険
2020.2.23
血よりも濃く
2020.3.1
神の不思議な選び
2020.3.8
イエスを主とする仲間
2020.3.15
神の怒りと憐み
2020.3.22
生きて残された者
2020.3.29
救いは向こうから来る