わたしに従いなさい
説教要旨( 4月 3日 朝礼拝 )
創世記 第28章10~15節
ヨハネによる福音書 第 1章43~51節
倉橋康夫
今朝与えられた聖書の個所の冒頭も、<その翌日>です。ここも、前回に続いて、弟子の召命の物語です。ここで、主イエスは、決定的に、ご自身を明らかにされます。主イエスは、弟子となるべき者と出会って下さいます。主イエス・キリストとの出会いが、緩やかであろうと、急激であろうと、共通することは、私たちの方から到達することではなく、向こうから・主イエス・キリストの方から近づいて下さり、ご自身を顕して下さり、私たちの目を開き、心を開いて下さることによって、初めて起こるものだ、ということです。
扨て、主イエスは、フィリポに出会われ、すぐに、<「わたしに従いなさい」>、と招かれます。主イエスとの出会いは、直ちに、主キリスト(メシア)との出会いを意味し、主に従うことへの招きを受けるものとなります。そして、主に従うとは、主に倣うというよりは、自分の全てを主にお委ねし、自分には何も持たず、自分を捨てて、それで良しとする歩みなのです。
フィリポは、<「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。」>と証言します。つまり、「メシアに出会った」と告白する形で、主イエスに従う者として、自分を言い表したのです。フィリポの証言を聞いたナタナエルの召命の出来事が、これまでの弟子たちの召命記事のクライマックスと言えます。
最初ナタナエルは、フィリポの証言に対して冷ややかでした。そこで、フィリポはナタナエルに、<「来て、見なさい」>、と言って、主のもとに連れて行くのです。主イエスは、彼らが来るのを見て、ナタナエルを指し、<「見なさい。まことのイスラエル人だ。>、と言い、また、<いちじくの木の下にいるのを見た>と言われます。<いちじくの木の下にいる>との表現は、メシアによる平和な時代が到来する時、イスラエルの安全の確かさを示す光景を意味します。ミカ書 第4章1~4節、ゼカリア書 第3章10節 参照。
主イエスは、ナタナエルに対して、神の選びの約束の言葉として、語られたのです。いちじくの木の下にいたという事実を見透かされた驚きより、メシアの祝福の下にあるとの約束の言葉を聞いて、ナタナエルは、そのような約束を与え得る主イエス・キリストに対する告白をします。<「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」>、と。
主イエスは、私たちに対しても、同様に、<あなたがいちじくの木の下にいるのを見た>、と言って招いて下さいます。ナタナエルの場合は、実際にいちじくの木の下にいたのですが、私たちについては、私たちを選び、救いに与り得る者として下さる、という意味です。主イエスが、私たちをいちじくの木の下にいるべき者として、約束して下さるのです。そして、この約束の言葉が、<「わたしに従いなさい」>という招きでもあるのです。
そして更に、<いちじくの木の下にいるのを見た>ということより、<もっと偉大なこと>として、主イエスは、<「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」>、と言われます。主イエスはご自分を<人の子>と呼び、ご自身と神との交流・交わりの事実を、あなたがたは見ることになる、言われるのです。
併せて読んだ、創世記 第28章で描かれる、ヤコブの夢の「天の梯子」の光景に重なります。主イエスによって、天への道が開かれる、ということです。この主が、「わたしに従いなさい」、と招かれます。私たちは、この主イエスを、メシアとして仰ぎ、この方において、神を知り、この方によって、神を礼拝します。私たちは、全てを主に委ね、その後からついて行きます。これが、主に従う者の一つなる姿なのです。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定