まことの礼拝
説教要旨( 7月3日 朝礼拝)
マラキ書 第1章11-14節
ヨハネによる福音書 第4章16-26節
倉橋康夫
主イエスとサマリアの女性との会話が続いています。まだ十分な理解に至っていないながらも、生きた水を与えるという、主イエスにただならぬものを感じたサマリアの女性でした。この女性を主イエスの方にしっかり向かわせたのが、本日の<「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」>、との主イエスのお言葉です。
話の流れからするならば、唐突なようですが、主イエスとしては、既に水についての話を進める中で、単に喉の渇きを癒す水の問題から、「心の渇き・魂の渇き」について語り始めておられたのです。主イエスは、この女性にとって、今一番の問題は、夫についてであることを見抜かれておられました。夫についての問題の具体的な事情は良く分からないにしても、この女性の苦労は、夫に関することであり、その問題のまっただ中に主イエスが切り込まれた、ということは確かなことです。しかし、主イエスは無遠慮に、踏み込まれるのではありません。<生きた水>・<永遠の命に至る水>を与える方として、踏み込まれるのです。この女性は、主イエスによって、自分の過去について、何もかも暴き出されますが、警戒したり、心を閉ざしてしまったりするのではなく、益々主イエスに向かって心を開いていきます。
扨て、そこで、そのようにして、主イエスとの出会いを経験したサマリアの女性の問いかけは、礼拝に関するものでした。ここでも、唐突に感じます。けれども、この女性は、自分の抱える問題との繋がりで、礼拝に関する問いを発している、と考えるべきでしょう。つまり、私たち人間の抱える様々な問題の最終的な解決の場は、神礼拝の場である、ということです。このサマリアの女性は、様々な問題に苦しみつつ、それらを携えて参加する礼拝の場を求めていたのです。そこは、何よりも、悔い改めの場であり、また、神の声を聞く場であり、神への信頼を表明する場です。赦しと慰めが与えられ、道が示される場です。そのように、あらゆる人間の問題の解決は、神礼拝の場から齎される、と言えるのです。
ところで、主イエスが、最終的に示されることは、今や、礼拝は全く新しされる、ということです。サマリアの女性は、神殿礼拝をイメージしておりましたが、エルサレムの神殿とかゲリジム山とか、ということは、最早問題ではない、と言われます。併せて読んだ、マラキ書 第1章には、主なる神への礼拝は<諸国の間で>(11節で2回、14節で1回)捧げられている、と述べられています。やがて広く<諸国の間で>、主なる神・王なる神に対して、真実なる礼拝が捧げられる時が来る、と告げています。現在形ですが、来るべき時の様子を描写するものです。主イエスが、サマリアの女性に、<まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。>、と告げられたその時について、マラキ書が既に指し示している、と言えるのです。
そして、主イエスは、礼拝がまことのものとなるかどうかは、場所によるのではなく、その礼拝の内容にかかっている、と言われます。<まことの礼拝をする者>とは、<霊と真理をもって礼拝する>者のことである、と言われます(23、24節)。<霊において>とは、神の霊の下において、聖霊のご支配の下で、ということであり、<真理において>とは、神の真実の下でと言うこと、つまり、神の救いのみ業を根拠として、ということです。私たちは、この礼拝の場において、神のご臨在に接し、そして、神の真実、つまり救いのみ業とその救いのご意志を改めて確信させられます。このようにして、私たちは「まことの礼拝」へと招かれ、「まことの礼拝」を捧げる者とされるのです。主キリストによる、神のみ救いに入れられた喜びと感謝を以って、心からの礼拝を捧げ続けて参りましょう。
説教一覧(2011年度)
2011.04.03
わたしに従いなさい
2011.04.10
隅の親石
2011.04.17
ぶどう酒になった水
2011.04.24
驚くべき主の御業
2011.05.01
新しき神の家
2011.05.08
神を畏れ、王を敬え
2011.05.15
水と霊とによって生まれる
2011.05.22
永遠の命と裁き
2011.05.29
はじまり
2011.06.05
あの方は栄え、わたしは衰える
2011.06.12
一同は聖霊に満たされ
2011.06.19
神をほめたたえる幸い
2011.06.26
永遠の命に至る水
2011.07.03
まことの礼拝
2011.07.10
その傷によって、あなたがたは癒された
2011.07.17
神の備え給う道
2011.07.24
み言葉を信じて
2011.07.31
あなたはわたしの愛する子
2011.08.07
命の恵みを共に受け継ぐ
2011.08.14
主イエスに力を与えられ
2011.08.21
試みを受けられた主
2011.08.28
神と等しい方
2011.09.04
今やその時
2011.09.11
祝福を受け継ぐ
2011.09.18
主イエスについての証し
2011.09.25
神からの誉れ
2011.10.02
命のパンのしるし
2011.10.09
父である神をたたえる
2011.10.16
わたしだ。恐れることはない。
2011.10.23
苦難と希望
2011.10.30
信じる
2011.11.06
天への凱旋
2011.11.13
キリストの勝利
2011.11.20
短い信仰告白
2011.11.27
朽ちない食物
2011.12.04
主イエスのもとへ
2011.12.11
かつてと今
2011.12.18
主イエスによって生きる
2011.12.25
飼い葉桶の乳飲み子
2012.01.01
去るか留まるか
2012.01.08
神の恵みの善い管理者
2012.01.15
時を支配し給う神
2012.01.22
わたしについて来なさい
2012.01.29
主の真実によって
2012.02.05
主キリストは神の御許から
2012.02.12
勝利を約束されている苦難
2012.02.19
主イエスの行かれる所
2012.02.26
生ける信仰
2012.03.04
主イエスへの態度決定