行いによらず、恵みによって
説教要旨(5月5日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 3:19-26
牧師 藤盛勇紀
「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない」「律法によっては、罪の自覚しか生じない」(20)。人間の力の可能性をスパッと切り捨てる厳しい言葉です。特に、神から与えられた律法を誇りとするユダヤ人にとっては、許しがたい言葉ですし、危険な思想でもあります。
神と断絶している「罪の自覚」を、最もはっきりと突きつけるのは死です。「ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです」「正しい者はいない。一人もいない」(9,10)。
人のあらゆる業は未完成に終わる。しかも、神の前に正しことをなしえず終わる。「だれ一人神の前で義とされない」。「義とされる」とは、神との関係に歪みも欠けもなく、神との命の交わりにある、言わば完成です。しかし人間は自らその完成に至ることはできない。パウロはこの事実を突きつけ、谷底に突き落とすのです。
ところが、この谷底から突然、高い頂にあるかのように言うのです。「ところが今や!」と。「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が啓示されました」。神に自分をつなぐ可能性が断たれて谷底に落とされたその場所で、なんと、神とのつながりが現れたのです。切れた所でつながった!
人間の力も可能性も希望も尽きた所に、何があるというのでしょうか? それは、《神が生きておられる》事実です。《神が》来て、おられる、のです。
いま祈祷会で創世記を読んでいます。ちょうど先日、アブラハムとサラにイサクが生まれた所を読みました。年老いたアブラハムと妻のサラは、妻のサラに男の子が生まれるという神の約束を聞いて笑いました。「そんなことがあるか」。
しかし、それでも主は言われるのです。「来年の今ごろ、わたしは来る」。人間の可能性は止んでいる。そんなの無理だ。でも、神は「来る」と言わるのです。神は《来る》お方。神は動かれ、出来事が起こります。なんと、「『わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる」(9:26)。
人間は、真の命の親を捨てた、ろくでもない放蕩息子です。しかし、イエス様が語った「放蕩息子」の父は、自分から息子に向かって走り寄り、その子を抱きます。大親馬鹿です(ルカ15章)。そのように、全能の父なる神は、人間が思いもしなかった赦しをもって、罪人に走り寄って来られます。神の全能とは、愛して止まず、決して手放さない、愛の全能です。
神が、私の父として来ておられる。そのことを知っている。それが「今や!」です。今や、そこには何があるか。父の独り子イエスの贖いの業があります。「わたしの民ではない」と捨てられる私たちの罪を償うための、独り子イエスの犠牲の血です。罪による隔たりを埋めるため、緋のように赤い罪を真っ白にするイエスの血。西が東から遠いほどに、私たちの背きの罪を遠ざけてくださる、イエスの犠牲の血です。「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」(25)。
私たちが神に近づいたのではない。神が、私たちのところに、深く降られたのです。「神の義」とは、罪人に対するこの神の愛です。だから、「神の義」は「福音の中に」啓示されているのです(1:17)。
神の義を啓示する福音、イエス・キリストによる贖いの恵みが、私たちを新しくするのです。人間だけでは、あり得ず、可能性のなかった、起こりようのなかった、「イエス・キリストを信じる」という奇跡が、今や神によって起こされて、神に反逆する私たちが、信じる者に変えられ、恵みによって生かされ、用いられる者へと変えられます。それは、私たちの行いではなかった。ただ神の恵みによる奇跡です。
説教一覧(2019年度)
2019.4.7
神の愛の怒り
2019.4.14
正しい者は一人もいない
2019.4.21
私があなたと共に行く
2019.4.28
起きて神を呼べ
2019.5.5
行いによらず、恵みによって
2019.5.12
信仰によって現実を生きる
2019.5.19
イエスの血による贖い
2019.5.26
価を払わずに得よ
2019.6.2
父祖アブラハム
2019.6.9
聖霊の力を受けて
2019.6.16
神さまから与えられた家族
2019.6.23
主にある救い
2019.6.30
望み得ないときの望み
2019.7.7
希望は生まれる
2019.7.14
賛美の湧き出る泉
2019.7.21
神との和解
2019.7.28
罪人を愛する神
2019.8.4
神を誇る
2019.8.11
アンバランスな恵み
2019.8.18
恵みは満ちあふれる
2019.8.25
第二のスタート
2019.9.1
死から生きる
2019.9.8
上を見て生きる
2019.9.15
神から派遣されて
2019.9.22
賜物としての命
2019.9.29
きっぱりと捨てよう
2019.10.6
まず砕かれてこそ
2019.10.13 朝礼拝
土の器なれど
2019.10.13 夕礼拝
時が迫っているから
2019.10.20
絶望から生まれた信頼
2019.10.27
あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
肉に死に、霊に生きる
2019.11.10
祈りの動機
2019.11.17
私たちは神の子
2019.11.24
神の子とされて
2019.12.1
神の子らよ現れよ
2019.12.8
祈れない時にも
2019.12.15
万事が益となる
2019.12.22
人となった神
2019.12.29
神の主権と深い愛
2020.1.5
神が味方ならば
2020.1.12
宿命をも破る主
2020.1.19
決して離さぬ愛
2020.1.26
神の友になりなさい
2020.2.2
愛されている確信
2020.2.9
主にあって
2020.2.16
同胞のための冒険
2020.2.23
血よりも濃く
2020.3.1
神の不思議な選び
2020.3.8
イエスを主とする仲間
2020.3.15
神の怒りと憐み
2020.3.22
生きて残された者
2020.3.29
救いは向こうから来る