神の子とされて
説教要旨(11月24日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 8:12-17
牧師 藤盛勇紀
前回も同じ箇所を読みました。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」。ここでパウロは、何か理屈や理論で説明しようとしているのではなく、一つの「事実」を語っています。神の霊・聖霊によって導かれると、私たちはどうなるのか。イエスご自身が詳しく教えられましたが、一言で言えば、《イエスの語られた言葉が分かり、その御業の意味が分かり、イエスの出来事に現された真理が分かる》のです。そして、それは《この私のため》だったと分かり、御子イエスと父が一つであるように、私たちもイエスと一つとされたと分かるのです。つまり「私も神の子」だと。これは途轍もないことではないでしょうか。
イエス様は祈る時、神様を「アッバ(父よ)」と呼びました。馴れなれしいとも言える言葉です。聖書は神を「父」と表現する所もありますが、親しく呼びかける使い方ではありません。しかしイエス様は、祈る時は「アッバと言え」と教えられました。
実はその時こう言われたのです。「《あなた》が祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられる《あなたの父に》祈りなさい」。誰も見ていない所で一人で祈る時、そこでは「あなたがた」ではなく《あなた》。《あなたとあなたの父》、そこでは《あなた》が《あなたの父に》祈りなさい!
この交わりが無いままでの「あなたがた」ではないのです。イエスは「あなた」と「あなたの父」との親しい関係にあなたを招き、そこに私たちが共に招かれて、イエスと一緒に、「私たちの父よ」と呼ぶのです
私たちが神の子であるなら、「神の相続人でもあります」。相続人である子供は、親から全て受け継ぎます。私たちは神のあらゆる良いものをいただきます。父なる神は、前の良い方であり、惜しみない方であり、あの「放蕩息子の父」(ルカ15章)のような親馬鹿なのです。放蕩の限りを尽くして財産を潰してしまった息子が、ある日、惨めに帰って来た。父は大喜びで大盤振る舞いし、飲めや歌えの大宴会を催しました。放蕩息子の兄は、一体何の騒ぎが始まったのかと思ったら、弟が帰って来たというので、父が宴会を始めたと聞きます。それを知って、真面目な兄は怒り心頭でした。怒るのも当然でしょう。でも、父は兄に言うのです。「死んだと思っていたあの子が帰って来たのだ。いなくなっていたのに、見つかったんだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前じゃないか」。
あの放蕩息子のたとえ話は、見失った一匹の羊を探す羊飼いの話と、無くした一枚の銀貨を探す女の話に続く話です。どの話も、「見つかったら、『一緒に喜んでください』と言うだろう」とイエスは言われました。私たちの父はそういう方なのだと。
「一緒に楽しみ喜ぶのは当たり前だろ!」。聖霊によってイエスを知り、神の愛を知ることは、この父の喜びが分かることです。だから、「アッバ!」なのです。
私たちはあの放蕩息子のように、自分は「子と呼ばれる資格なんかない者」だと思い、「どのようにして父の所に帰ったらいいんだろう。いったい何て言ったらいいんだろう」と悩みます。しかし父は、資格のない者を憐れんで、御自分から走り寄って、何も聞かずに懐に抱いてくださる神です。それがあなたの父のだ、だから「アッバ」と呼べ!と、イエス様は言われます。私たちが「父よ」と祈るとき、イエス様に肩を抱かれるようにして、長子イエスの兄弟姉妹として、「私たちの父よ」と呼ぶのです。このイエスを私たちの内にもたらしてくださるのが聖霊です。「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです!」
説教一覧(2019年度)
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あなたの怒りは正しいか
2019.11.3
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2019.11.17
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2019.12.1
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