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あの時のように、今も

説教要旨(5月27日 朝礼拝)
イザヤ書 第63章7-10節
使徒言行録 第 11章1-18節
佐藤智子

 ユダヤ教の祝祭である五旬祭を迎えたこの日、聖霊が降るという出来事が起りました。聖霊によって満たされた弟子たちは、キリストの福音を深く受け止め、それを伝えていく言葉が与えられていきました。主イエス・キリストの十字架の死と復活の出来事を経て、聖霊に満たされ、神の僕とされた使徒たちは、キリストの福音の言葉を携え、それを地の果てに至るまで宣べ伝えていくようにされたのでした。御言葉と祈り、それを導く聖霊のお働きによって、教会は育まれていったのであります。
 その教会の営みにおいて、記憶されたのは、異邦人への伝道でありました。本日の聖書箇所は、異邦人部隊の隊長を務めるローマ人コルネリウスが、使徒ペトロとの出会いを経て、キリストの福音に触れ、信仰者とされたということを伝える記事であります。この出来事は第10章に記され、続くこの第11章においては、ペトロの独白という形で語り直されています。
 コルネリウスの所から戻ってきたばかりのペトロを、エルサレムにいたユダヤ人キリスト者たちは詰問しました。<あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした>ユダヤ人キリスト者は、律法、そして割礼の問題に捕らわれていたようです。神の民ではない異邦人を、汚れた存在と捉え、交際することを禁じていました。交わりを形づくることになる「食事」を異邦人と共にするということは、あってはならないことだったわけです。このユダヤ人キリスト者たちに、ペトロは事の次第を説明しました。
 ペトロは、幻を見ました。食物規定上、汚れたものと考えられていた獣などが入った布のような入れ物が天から降ってくる、というものでした。屠って食べるように、との主の声に対し、これを拒否したペトロ。しかしペトロは、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」との主の声を聞いたのでした。
 ペトロは霊に促されて、コルネリウスのところへ向かい、コルネリウスに「救いの言葉」である福音を語りました。すると、一同は聖霊に満たされ、コルネリウスたちは洗礼へと導かれたのでした。  
 それはまさしくあの、聖霊降臨日の出来事と同じでありました。あの日、聖霊が注がれ、満たされ、救いの出来事を語る言葉が起り、その言葉が聞かれ、救いの出来事が正しく受け止められたように、今コルネリウスのところにおいても、あの日と同じことが起ったことを、ペトロは知らされたのであります。コルネリウスたち異邦人の間においても、聖霊がお働きになり、主の御言葉が起こされ、聞かれ、救いの出来事がそこにも起ったのであります。そして、神が清めたものを、清くないなどと言うことはできないということに、ペトロは気がつかされました。そして、神さまのなさった、力ある救いの御業を、聖霊に満たされて、ペトロも改めて承認させられたことを、ペトロは証言しました。先ほどまで怒りをもって、ペトロを詰問したユダヤ人キリスト者たちは、このニュースを聞かされて、神をほめたたえる讃美が起こされたと記されています。
 あの時のように、今も。教会は、父・子・聖霊なる神さまのご支配の下に、御言葉が語れ、聞かれ、救いの出来事が承認されていくのであります。救いの出来事は過去の出来事にはならず、今この場所において、起こされるのであります。聖霊降臨の出来事も過去の出来事ではなく、その中で、信仰者が起こされ、喜びが起こされていく。教会が教会として養われていくのであります。神の絶大な力の下で、御言葉と祈りが与えられて、歩んでいく。あの時のように今も、この場所においても、私たちは聖霊降臨の出来事のただ中にあって、主の救いの御業を体験させていただいているのです。