私はこの方を知らなかった
説教要旨(3月12日 朝礼拝より)
ヨハネによる福音書 1:29-34
牧師 星野江理香
洗礼者ヨハネは主イエスを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と指し示しました。
それは一つには「イザヤ書」第53章に記された、黙したまま「屠り場に引かれてゆく小羊」に準えたものであり、もう一つは出エジプトの、あの最後の災いを回避するための「過越しの犠牲」を根拠とするものです。つまり、ヨハネは、罪の結果としてもたらされる災いから私たちを護り救う贖いの「過越しの犠牲の小羊」として、主イエスを指し示したのでした。
またヨハネは、聖霊により、主イエスが世が創られる先から御父と共においでになった御方であり、霊による洗礼を授けられるメシアであるとも知らされていたようです。
その上、他の福音書の記事からわかるように、主イエストヨハネは互いの母親が親族であるということですから、ヨハネは以前から、ある程度主イエスを知っていたはずなのです。
ところが、それにもかかわらずヨハネは、31節と33節で、まるで駄目押しするかのように二度も、主イエスについて「わたしはこの方を知らなかった」と言っています。言葉通りに受け止めると、それは、甚だ矛盾した話ではないでしょうか。
しかしながら、たとえば宗教改革者ジャン・カルヴァンが、それは、ヨハネが人間的な意味で主イエスを知ったわけではないからであると説いているように、ヨハネは、地縁・血縁、友人・知人といった人間的意味ではなく、霊的な意味で、この御方こそが贖いの「神の小羊」であり、メシアであることをほんとうに知ることができたのです。ですから、ここであらためて「知らなかった」と連発しないではいられないほど、今こそほんとうに「私はこの御方を知った」、知ることができたと、喜びに溢れて訴えているのです。
このことは、どんなに熱心に聖書を研究し豊富な知識を得ていても信仰を土台としない「宗教学」では、「神学」のように神様を知ることがないのと少し似ているかも知れません。
もっとも、主の十字架の死とご復活という救いの奥義を知らない洗礼者ヨハネは、主の洗礼の時、実際に聖霊が降るのを目撃してはじめて、確信をもって「この方こそ神の子であると証し」できるようになったことをここで告白しています。
一方、主がご昇天された後の時代の私たちは、確かに、そのような場面を目撃することはできません。けれども、私たちには、既に十字架と復活の神様の救いの奥義が示されています。そこには主イエスのみわざを通して神様の深い愛が示されています。そして「ペトロの手紙Ⅰ」にあるように、私たちは、「キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれてい」るのです。
どんな優れたこの世の知識より何より、幼な子が親の愛を信頼して手を伸ばす時のように、私たちが神様や主イエスを求める時、私たちは既にそこに主が待っていてくださり、私たちに手を差し伸べ続けていてくださることを、やはり聖霊の御働きによって知らされます。そして、ある日突然、不意打ちのように、ほんとうに主イエスこそが、私たちのまことの救い主であると気づく時、私たちもまた洗礼者ヨハネのように、自分たちが今まで「この御方を知らなかった」ことを悟るのです。
私たちを深く愛して「過ぎ越しの小羊」の大役を果たされた御方は、聖霊を介していつも共においでくださり、護り導き、お支えくださいます。その方を知った日の喜び…。あの不意打ちのように訪れる喜び、神様からの贈り物を、私たちは、礼拝のたび、祈りのたび、みことばを聞くたび思い起こし、その時の喜びを何度となく噛み締めて、そしてまた主を愛する初めの愛に立ち戻りたいのです。
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