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誰の言葉を聞くのか

説教要旨(4月3日朝礼拝より)
ルカによる福音書 16:19-31
牧師 藤盛勇紀

 イエス様が死後のことを語られた珍しい箇所だと言う人もいます。しかしこれはたとえ話です。「ある金持ち」と「貧しい人」ラザロ。この二人が死んだ後の話ですが、いわゆる「天国と地獄」「死後の世界」の話ではありません。
 金持ちは陰府に行って炎の中で苦しんでいます。上を見てみると、あのラザロがアブラハムのそばにいる。金持ちはアブラハムに懇願します。「父アブラハムよ、ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください」。しかし、それがかなわぬ願いだと分かります。
 この話はここからが本題です。金持ちは、今この世で生きている兄弟たちのことを心配するのです。「父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください」。
 情けを知らぬ金持ちも、さすがに兄弟たちのことは心配なのです。死んだラザロが生き返って、兄弟たちに忠告をしてくれたら、さすがにあの連中も驚いて悔い改めるだろう、というわけです。
 しかしアブラハムは、「お前の兄弟たちには、モーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」と言います。「モーセと預言者」とは聖書です。生きているお前の兄弟たちは聖書に聞けるではないかと。それに対して金持ちは「いいえ、父アブラハムよ」と言います。兄弟たちは聖書ではダメなのです。神の言葉に耳を傾けて悔い改めることなどしません。だから、ラザロを生き返らせて、兄弟たちの所に送って、驚かせてやってください、と。
 話がここまで来ますと、今生きている者がいったい何に耳を傾け、誰の言葉に聞いて生きるべきか、という話だと分かります。死後の世界の話ではなく、いま生きているあなたは、何を聞いて生きているのか、何によって生きているのか、です。
 死んだ人が現れたくらいで、神の言葉を聞いて信じることなどあり得ません。「たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」。その通りです。奇跡を見たくらいの不思議体験によっては信仰は起こらない。神の言葉を聞くところに起こるのです。復活された主も、弟子たちに何度も御自分を現されましたが、聖書に書いていることを繰り返し教えて、御言葉を聞かせたのです。
 私たちも、生きておられる主から教えていただくのでなければ、御言葉が分かりませんし、死のことも命のことも分からないでしょう。命の主なる神に聞かなければ、自分のことも分からるはずがなく、どう生きればよいのかも分かるわけがありません。
 しかし、神の御言葉に聞いて分かってくることは何でしょうか。このたとえ話であえて名前を付けられたラザロは、「エリエゼル」の略で、「神が助けてくださる」という意味です。神の恵みによって、神の憐れみによって生きる。問題はそれなのです。聖書に耳を傾け、神の御言葉によって生きようとする時、そこで私たちは、神によって生き生かされていることを知るのです。
 そうしますと、「死んだらどうなるか」などは問題になりません。死においても生においても主がおられる。これこそ事実であり現実だからです。
 私たちは「死も命も支配される主のもの」、これこそが確かなことです。なぜなら御言葉がそう語っているからです。「肉なる者は皆、草に等しい。…草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」。神の御言葉こそが、私たちのリアリティーです。
 この恵みの事実を信じて、感謝して生きることが許されています。聖書に耳を傾け、神の言葉に聞いて生きるとは、そのような恵みを知って生きることなのです。
 
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
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2016.5.1
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2016.5.8
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2016.5.15
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2016.5.22
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2016.5.29
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2016.6.5
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2016.7.3
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2016.8.14
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2016.9.4
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2016.10.2夕礼拝
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2016.10.30
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