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神無き世を越えて

説教要旨(9月4日朝礼拝より)
ルカによる福音書 20:9-19
牧師 藤盛勇紀

 イエス様が語られたたとえ話も最後の話。聞いた民衆は「そんなことがあってはなりません」と反応しました。それは、悲惨で無残で無情、救いようのない話でした。
 「ぶどう園」のたとえ話を聞いていた民衆は、身近な話として聞いたでしょう。ぶどう園では多くの人が雇われています。農園の主人は必ずしもその土地に住んでいるわけではなく、農園のことは農夫たちに任せています。農園作りから日常的な経営、ほとんど一切を委ねています。農夫は僕ですが、あたかも主人のように計画を立て、知恵と力を注いで農園を作り、収穫を上げます。ぶどう園は彼らの生活であり、言わば彼らの人生そのものでした。
 その農園も収穫の時が来ます。主人が収穫を期待するは当然です。主人は僕をぶどう園に送りました。「ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した」というのです。主人は何かの間違いではないかと思ったのか、二人目の僕を送ります。ところが二人目も袋だたきにされました。主人はお人好しだったのでしょうか、また忍耐して、三人目の僕を送ります。しかし、結果は同じです。
 農夫たちは、徹底して主人に反抗したのです。「主よ、あなたにお返しするものなど、何もない。我々が労苦して収穫したものなんだから、一切は我々のものだ」と、そういうことでしょう。
 「仏の顔も三度」と言います。ところがこの主人は、何を根拠に農夫たちを信頼したのか、自分の愛する息子を農園に送ってしまうのです。はたして、農夫たちはこの主人の息子を殺してしまいます。
 ここまで来ると、「それは酷い話だ。そんなことがあってはなりません」と言いたくなります。しかし、イエス様が語っておられるのは、神様と私たちの関係なのです。人間は神を侮り、反逆し、神を血祭りに上げる。生々しい現実です。そして、言うまでもなく「主人の愛する息子」は、主イエスご自身です。
 何かがおかしい。何かが間違っている。何でしょうか? それは、主人が自分たちを信頼して園を任せてくださっている、なのに、それを認めようとしないことです。逆に言えば、私たちには主人がいるということです。私たちはそのお方によって生かされ、用いられている「僕」なのです。
 「僕」と言われると良い気持ちがしないかも知れません。しかし、私たち自身の存在そのものが与えられたものではないですか。自分で造ったわけではなく、自分でオーダーしたわけではない自分を、気づいたら与えられ、生きていたのです。
 主なしには、私たちは何のために存在しているのか、何に向かって生きているのか分かりません。責任も分からず、使命も分かりません。自分の人生のことは、自分では決められないのです。
 「僕」は自分勝手に目的を決めることはできません。主人の目的があり計画があり、意図があります。主人が善いお方であるなら、主人は自分の期待や希望や喜びを、僕たちと分かち合いたいのです。僕が喜ぶことがご自分の喜びなのです。
 主人(客)のいないタクシーは「空車」。しかし主人が乗り込んだら「実車」になります。私たちの人生も、主を拒否する「神無き人生」だとしたら、取りあえず流すだけの空しい人生でしょう。しかし神は、窓を叩いて、私たちの人生に乗り込んで来られます。
 人間は「神がいないかのように」生きてしまう。しかし神は、「私たちがいないかのように」は働かれません。私たちに乗り込んで、私たちを生かし動かすのです。すると、私たちは神が無いままではいたたまれなくなります。主なるお方は乗り込んで来られ、意味あり、実もある命を走らせてくださいます。
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
誰の言葉を聞くのか
2016.4.10
消えていく
2016.4.17
信じて、願え
2016.4.24
立ち上がって、行きなさい
2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
遣わされて生きる
2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
謙遜をかさねて
2016.6.5
ほうっておけない神
2016.6.12
主よ、あなたしかいません
2016.6.19
ただ、いただくだけです
2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
あなたの信仰があなたを救った
2016.7.17
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2016.7.24
小事を生かせ
2016.7.31
終末からこの世を見る
2016.8.7
主の御用のために
2016.8.14
訪れて来る神
2016.8.21
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2016.8.28
使徒たちとともに
2016.9.4
神無き世を越えて
2016.9.11
神のものは神に
2016.9.18
神学論争の終わり
2016.9.25
メシアはダビデの子
2016.10.2朝礼拝
主のまなざし
2016.10.2夕礼拝
主イエスの言葉を思い出して
2016.10.16
終末のしるし
2016.10.23
解放の時は近い
2016.10.30
ゆるして自由になりなさい
2016.11.6
主の言葉は滅びず
2016.11.13
本当に大切なこと
2016.11.20
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2016.11.27
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2016.12.4
人間のたくらみ、神の備え
2016.12.11
宿命を超える主の愛
2016.12.18
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2016.12.25
その名はインマヌエル
2017.1.1
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2017.1.8
王は裸で踊る
2017.1.15
神無き死
2017.1.22
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2017.1.29
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2017.2.5
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2017.2.12
神の子、イエス・キリスト
2017.2.19
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2017.2.26
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2017.3.5
どちらが憐れか
2017.3.12
あざ笑われるメシア
2017.3.19
主の愛の深さを知らされて
2017.3.26
闇の中の光