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主の愛の深さを知らされて

説教要旨(3月19日 朝礼拝より)
マタイによる福音書 26:36-46
伝道師 上田真由美

イエス様は十字架におかかりになる前夜、オリーブ山に出かけゲツセマネの園で祈りのときを過ごされました。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」。ここには服従のお姿と共に「悲しみ、もだえる」お姿があります。ある人がこう言っています。「主イエスが平然とご自分の死を受け入れ英雄のように死なれたなら、私はこのお方に向かって自分の苦悩を打ち明けはしない。なぜなら分かってもらえないと思うから」と。苦悩のお姿をも見せてくださる主だからこそ、私たちもまた、自分の弱い姿を、このお方の前ならば、さらけ出せるのだと思うのです。
 イエス様は何に対して苦悩しておられるのか。「この杯を、わたしから過ぎ去らせてほしい」と、そこで悩んでおられる。エレミヤ書49章12節に、「わたし(=神)の怒りの杯を、飲まなくてもよい者すら飲まされるのに、お前が罰を受けずに済むだろうか。そうはいかない。必ず罰せられ、必ず飲まなければならない」とあります。イエス様は、自分は「この杯」、つまり「神の怒りの杯」を受ける、と考えておられたのでしょう。人が犯した罪とその結果負う死を引き受けて十字架で血を流す。それほどの重荷を、罪のないイエス様が代わりに負われ罰せられる。その事によって、私たちの罪は赦されて、神との関係が回復され神に近づき交わることができる。この救いをなすことができるのは、神の御子イエス様だけであったわけですが、イエス様はこう叫んで十字架で死んでいかれました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(27:46)。十字架で裁かれる。十字架の死とは、神様に「見捨てられる」ということ、「怒りの杯を飲む」ということです。ゲツセマネでのお苦しみは、神に捨てられることに対する苦しみなのです。神から関係ないと切り離され放って置かれる苦しみは、死ぬ苦しみどころではないわけです。その恐ろしさをよくご存知で、間もなく十字架にかかるということは父から見捨てられる経験を自分がすることなのだ、そのことで悩んでおられるのです。 
 私たちが重い病気や試練を経験する時、神様から見捨てられたのでは…と思うことがあります。でも神様はそうではない。イエス様が十字架にかかって下さったことによって、神様は私たちに対して絶対に見捨てないという愛を示して下さった。これがキリストの福音です。
 この「杯を過ぎ去らせてほしい」とは、十字架ではなくてもうそのまま死なせてほしい、他に方法はないですか?これ以上、あなたから切り離されたくない、というような私たちには理解できない、また耐え得ない世界です。神に捨てられるとは、それほどに恐ろしく重大なことなのです。神様からの応答を懸命に求めておられるイエス様。でも一言も応答がなかった。なぜでしょうか。それが神から見捨てられるということだからです。滅びなさいと放っておかれる。神の守りがなくなる。それが神の罰(裁き)です。それは実は、孤独の中に投げ込まれてしまわれる、ということ。
 でも、その恐怖の中にあっても打ち勝たれて、「しかし御心のままに」と十字架への道を歩んで下さいました。イエス様がまことの孤独を経験して下さったからこそ、私たちの孤独をも分かってくださって、「わたしは世の終わりまであなたがたと共にいる」(28:20)、わたしが辛いあなたのそばにいて親しい友になるよ、と。だから主の愛とは、人が独りぼっちでいることを放っておけない愛。主が共にいてくださる。だから、私たちは生きていけるのです。
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
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2016.4.17
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2016.4.24
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2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
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2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
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2016.6.5
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2016.6.12
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2016.6.19
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2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
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2016.9.25
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ゆるして自由になりなさい
2016.11.6
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2016.11.13
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2017.1.1
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2017.3.26
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