ホーム | 説教 | 説教(2016年度) | 主のまなざし

主のまなざし

説教要旨(10月2日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 20:45-21:4
牧師 藤盛勇紀

 イエス様は律法学者たちのことを、「長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む」「見せかけの長い祈りをする」と言われます。表向きは信仰者の手本のようでありながら、じつは「人の目がすべて」の生き方。それを厳しく指摘なさったのです。
 イエス様は「目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見て」おられました。そのまなざしの先に、「レプトン銅貨二枚」を献げた、貧しいやもめがいます。私たちがすぐに思うことは、金持ちたちの献金との比較です。「金持ちたちは皆、有り余る中から献金した」のに、やもめは「生活費を全部入れた」。この圧倒的な差。そこにやもめの献金の尊さがある、全部を献げるところに信仰が現れている、と思う。しかし、そうした読み方はすぐ行き詰まります。私たちも献金をしますが、その時、全てを献げる人が一人でもいるでしょうか。
 それで考え直すのです。「献金は金額ではない。僅かでよい」「『レプトン銅貨2枚』とあるから、十円銅貨2枚でもいいか」。いくらなんでもそんな考えで献金はしない、と思われるでしょう。でも、献金の額は、誰もが気になります。理由はいろいろあるでしょうが、結局は「人の目」です。多ければ多いで、金持ちだとか気張っているとか思われる。少なければ少ないで、人からどう思われるか、気になる。「献げものは神への献げものだ」とは言うものの、「人の目ばかり気になる」のは、隠しようがありません。人の目を基準に生きている「律法学者」とは、じつは私たちのことです。
 このやもめは、イエス様が見つめておられることに気づいていません。しかし、イエス様は彼女を見ておられます。この主のまなざしは、彼女の献金と、そこに表れている信仰と、その生き方そのものを肯定しておられるのです。主は目を上げて、まなざしを注いでおられます。「ここに真実があるではないか。見かけは人を指導していながら、人の目に縛られている律法学者のようではなく、このやもめには、全てを献げる人の自由があるではないか。神に献げて、神から与えられるものによって生きようとする者の、真の平安があるではないか。神の前に生きる人の姿がある、その人生がある。それを見ないか」と。
 私たちはこのやもめの姿を見ても、「とても私には無理」とか「私の信仰は薄っぺらだから」とか言い、「いったいこのやもめは、どう生活しているんだろうか」と、つまらないことを勘ぐる。それは、生きておられる神のまなざしを知らず、人の目ばかり気にして生きているからです。それが身に染みついてしまっているのです。
 やもめが献げた「生活費」とは、「人生」とか「生涯」と訳してもよい言葉です。たしかに、献金の額や割合が問題なのではありません。でも、彼女の献金には彼女の信仰が表れています。自分の人生を神の前に差し出している。神はこの人を生かし、彼女はその神の前に生かされている。生きた真理が現れているのです。
 このやもめが、なぜ信仰に生きることができたのか分かりませんが、確かなことは、主は生きておられること、そして彼女はそれを知っている、ということです。彼女は早速、今晩の食事から困るでしょう。しかし彼女は今、「神によって生き、生かされる自分」になっています。人の目に生きている人と、このやもめと、どちらが本来の人間らしいのでしょうか。
 主は生きておられます。私たちを見つめ御言葉をくださる生ける主のまなざしが、不信仰な者を信じる者とし、希望のない者を望む者にしてくださり、愛無き者を愛することへと向かわせてくださいます。私たちも、その恵みを現す器、生ける主と真理の表現者なのです。
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
誰の言葉を聞くのか
2016.4.10
消えていく
2016.4.17
信じて、願え
2016.4.24
立ち上がって、行きなさい
2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
遣わされて生きる
2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
謙遜をかさねて
2016.6.5
ほうっておけない神
2016.6.12
主よ、あなたしかいません
2016.6.19
ただ、いただくだけです
2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
あなたの信仰があなたを救った
2016.7.17
救いは訪れる
2016.7.24
小事を生かせ
2016.7.31
終末からこの世を見る
2016.8.7
主の御用のために
2016.8.14
訪れて来る神
2016.8.21
天からの権威
2016.8.28
使徒たちとともに
2016.9.4
神無き世を越えて
2016.9.11
神のものは神に
2016.9.18
神学論争の終わり
2016.9.25
メシアはダビデの子
2016.10.2朝礼拝
主のまなざし
2016.10.2夕礼拝
主イエスの言葉を思い出して
2016.10.16
終末のしるし
2016.10.23
解放の時は近い
2016.10.30
ゆるして自由になりなさい
2016.11.6
主の言葉は滅びず
2016.11.13
本当に大切なこと
2016.11.20
豊かに実を結ぶ
2016.11.27
新人類が現れた
2016.12.4
人間のたくらみ、神の備え
2016.12.11
宿命を超える主の愛
2016.12.18
必ず実現すること
2016.12.25
その名はインマヌエル
2017.1.1
あなたを造る聖書
2017.1.8
王は裸で踊る
2017.1.15
神無き死
2017.1.22
闇の支配
2017.1.29
発光するあなた
2017.2.5
主のまなざし
2017.2.12
神の子、イエス・キリスト
2017.2.19
イエスの沈黙
2017.2.26
衆愚の叫び
2017.3.5
どちらが憐れか
2017.3.12
あざ笑われるメシア
2017.3.19
主の愛の深さを知らされて
2017.3.26
闇の中の光