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人間のたくらみ、神の備え

説教要旨(12月4日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 22:1-13
牧師 藤盛勇紀

「イエスが十字架につけられて殺されることになったのはなぜか」。出来事の表面だけを見るなら、イエスの十字架の死は、彼を憎む者たちと手を結んだユダの裏切りに端を発します。さらに他の弟子たちの裏切りが加わり、扇動された民衆の愚かしい興奮が起こり、総督ピラトの自己保身の思いが、その流れに棹さします。
 しかし聖書は、人の思いによって織りなされる出来事を記しながら、正反対のところからこの出来事を見ています。それは、主は予め一切を知っておられ、そのために周到に準備しておられた、ということです。
 イエス様は、ペトロとヨハネを遣いに出して、過越の食事の準備をさせます。しかし、すでに主ご自身が予め準備しておられたのでした。彼らはそれを確認して、最後の仕上げをしたのです。
 この直後、ペトロをはじめ弟子たちは皆、主を裏切ることになります。しかし彼らは後から知ります。自分たちは、主が備えられた道を歩ませられたのだと。身勝手さをも含め、人間の自由な思いや行動さえも、主はご自分のご計画のためにお用いになる。主はまさに「主」であられます。
 イエス様は弟子たちに、「準備をしなさい」と言われます。彼らが従って行ってみると、すでに整えられた場所を見せられ、「イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した」。彼らは、主が言われた通りだったから、それをしただけです。主の御心に自分の思いや行いを沿わせて、主に用いられる人は幸いです。
 実は、弟子たち以外にも主に用いられた人が出てきます。「水がめを運んでいる男」です。ふつう水がめを運ぶのは女性の仕事だったので、「都に入ると、がめを運んでいる男に出会う」と言われた時、「そううまい具合にそんな男に出会うのだろうか」と思ったでしょう。だから水がめを運んでいる男を見た時は、さぞ驚き感動したでしょう。「おお、いた! あそこにも、主に用いられている男がいる。彼は気づいていないんだろうが」と。
 一方、ユダの裏切りについては謎のままです。聖書はただ一言、「ユダの中に、サタンが入った」と書きます。サタンあるいは悪魔は、人を神から引き離すものです。人がその誘惑に捕らわれた時、逆に自分が自由になってたかのように思うのです。とくに、神から自由に自立して生きていると思い込む。それは悲惨です。行き着く先は結局滅びだからです。
 ユダはこの後どうなったか。神無しに、自分で自分に決着をつけてしまいます。命の主を見失ったなら、命も死も、結局は自分で決着をつけるだけです。サタンは、そこに私たちを引き込もうとします。
 ユダは特別罪が深い悪人だったわけではありません。罪の深さは、ユダもペトロも他の弟子たちも私たちも同じです。私たちも主を裏切り、神を無視し、神なしに自立することに喜びさえ感じた人間です。
 そのような私たちが、死と滅びの道を独り行くのでなく、神の命の道を行くようにと主はご決意なさって、人間の思いを文字通り超えた、周到な道を準備なさって、ご自身が命の道となってくださいました。
 その道で、私たちは、罪を犯しながらも、やり直すのです。理想的な人間、理想の自分などにはほど遠いけれども、私たちはユダのように、取り返しのつかないことをした自分を、自分で処分してはならないのです。預言者イザヤは語ります、「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる」(55:7)。どんな人でも、憐れみ深い主の前に出るならば、主なる神が、どれほど憐れみ深いお方か、どれよど豊かに赦してくださるお方かを知ります。だから、主の御前にこそ、私たちの無上の喜びがあるのです。
 

説教一覧(2016年度)

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