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あざ笑われるメシア

説教要旨(3月12日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 23:32-43
牧師 藤盛勇紀

 ついにイエス様は十字架につけられました。周囲の人々はイエスをあざ笑い、徹底的に侮辱し、ののしり続けます。なぜ、と問いたくなります。イエスが神の子なら、メシア、キリストなら、なぜ十字架から降りないのか? なぜこの肝心なところで奇跡を行わないのか? なぜ神は、御子イエスを侮辱して殺す者たちを放っておくのか。なぜ、裁きの一撃も加えないのか。なぜ神は、何の奇跡的な力も現さないのか?
 一つの答えは、奇跡は「しるし」に過ぎず、救いにはならなないということです。私たちは、奇跡によって生きるのではなく、その先を行くからです。
 数年前、日本宗教連盟の主催で尊厳死について学びました。医学と医療技術は飛躍的に進歩し、古代人から見れば奇跡です。ところが、どれほど医療が進歩しても、人間命の問題は何も解決せず、新たに深刻な悩みを抱えることになってしまった。単に死を回避したり延命すること、つまり「生き続ける」ことは、問題の解決どころか絶望さえ生む、と分かってきたのです。言い換えれば「奇跡なんかじゃ救われない」ということです。「死ななかった」、けっこうなことです。健康なら、なおけっこう。それで、あなたの人生どうなりましたか。
 しかし、キリスト者はすでにその先に行っているのです。キリスト教の信仰は、奇跡を行うイエスの周りに集まった者たちの信仰とは違います。キリスト者の信仰は、人々から捨てられて十字架につけられたあのお方に従った者たちの信仰です。死を打ち破って、いま生きておられるお方に従う信仰です。
 十字架上のイエス様は、一緒に十字架につけられた犯罪人の一人に言われました、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。これは、死を避けることとは全く無関係です。むしろその先。今すでに、死を超えています。何か善い行いをするだとか、心を入れ替えて生き方を正すとか、そんなことも関係ありません。この犯罪人は、今ここで死ぬのです。イエスも人々に嘲られながら、神に呪われた者として死ぬのです。
 人々は神の御子を訴え、ののしっています。神をいいようにあしらい、なぶり者にさえする、ひっくり返った人間の姿。これが罪人の姿。一皮剥いた、私たち自身です。
 では、私たち人間は、神から罪を問われ、悪を指弾され、罰せられたら、悔い改めるのでしょうか? 神から裁きを受けることによって、救われるでしょうか?
 どこまでも思い上がった人間のために、イエス様はご自分を犠牲に捧げて祈られたのです、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。善人や義人のために祈られたのではありません。善人のために命を献げられたのではありません。主は罪人のために世に来られ、罪人のために、死んでくださったのです。
 私たちは、悔い改めたから赦されるのではありません。神はどこまでも赦してくださるお方だから、何度でも悔い改め、何度でも神に立ち帰るのです。この神の愛の、無限の赦しが、裁きではなく赦しが、私たち罪人を、罪の中にいられなくするのです。十字架の主をののしり嘲る人々に、自分自身の姿を見るから、そこにいたたまれなくなるのはないでしょうか。逆に、人々から見捨てられ侮辱され、ののしられて死なれるこのお方に、従って行きたいのです。
 この神の愛と憐れみと慈しみによって赦され、新しい命をいただいて生きることなしには、人間の根本問題は何一つとして解決されません。しかし、死を打ち破られた十字架のキリストとその命が、どんな絶望をも死をも、埋め合わせてしまいます。
 だから私たちは、死を回避する生き方ではなく、命を捧げて生きる道、命を用いていただく道、神からの命に生きる道を見出すのです。
 

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