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信じて、願え

説教要旨(4月17日朝礼拝より)
ルカによる福音書 17:1-10
牧師 藤盛勇紀

 主イエスの小さな三つの話が続けて語られます。まずは「赦し」について、「一日に七回」でも赦せと。「そりゃあイエス様は愛と憐れみに満ちた神の御子ですから、おできなるでしょう。でも私はただの弱い人間ですから、到底無理です」と言いたくなります。しかも、最後にはこう命じられます、「自分に命じられたことをみな果たしたら『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」。私のような弱い者、信仰の足りない者にはとても無理だと思われます。弟子たちも言いました、「わたしどもの信仰を増してください」。信仰的自信喪失状態なのです。
 しかし、イエス様はこう言われます、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」。
 主の御言葉と私たちの思いは、天地の開きがあります。たしかに主のお言葉は、世離れしたような言葉です。「桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言えば」、それは「言うことを聞く」というのです。直訳すれば、「あなたがたに服従する」です。
 ルカはここで弟子たちをあえて「使徒」と呼びます。主の弟子であることの意味が分からなくなっている者たちを「使徒」だと言うのです。「使徒」には、遣わしてくださったお方の「権威」があります。それがなかなか分かっていません。やむを得ない面もあります。自分で自信喪失状態に陥っていますから。
 けれども、主が言われるのです。私たちの内にあるかないか、ではありません。何も無くて当たり前。「私には無理」、そんなことは主もご存知です。そんなことは問題じゃないのです。無から有を呼び出される主が言われるなら、無くてもあるのです。無くても生まれるんです。だから、自分の内の可能性を探るのは全くの無駄。必要なことは、「主の」御言葉を聞くこと。信仰はそこに起こるんです。
 弟子たちが不信仰だったとすれば、それは、彼らが神を信じていなかったということではありません。ここで信仰とは、神と私たちの生きた関係です。自分が主のものである事実を知っていることです。信仰が無いというのは、主と自分との関係が分かっていないということですから、当然自分のことも分かりません。
 イエス様はおっしゃいました、「空の鳥を見なさい、野の花を見なさい」と。鳥は種を蒔かず刈り入れもしないけれども、神は養っていてくださると。そして「あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ」と(ルカ12:28)。
 神の前にあなたがどれほど価値ある大切なものかを知る。それが、主が問うておられる信仰です。あなたは神の愛と使命と権威を帯びてこの世に置かれている。あなたは神のかたち、神の似姿として造られた。それを知らないのかと。
 神は人間を、小さく縮こまる弱いものとして造られたのではありません。私たちはとてつもなく豊かな者だということを聖書は語っているのです。神は愛と恵みと慈しみをもって、生けるものを存在させてくださいました。その神の愛と恵みをこの地上で現すことを、私たちにお委ねになったのです。神が愛であり恵みと慈しみに満ちたお方であることを、あなたが現すのです。
 だからこの世界は、神に愛されている神の子たちの出現を待っているのだ、と使徒パウロも語りました。この世は、神の子たちの信仰と願いとその発する言葉を待っているのです。何より誰よりも神御自身が、私たちの信仰と願いから発せられる言葉、あなたが大胆に信じて願う、その言葉を待っておられます。そして神は、喜んで私たちを神の器として用いてくださいます。
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
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2016.4.10
消えていく
2016.4.17
信じて、願え
2016.4.24
立ち上がって、行きなさい
2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
遣わされて生きる
2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
謙遜をかさねて
2016.6.5
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2016.6.12
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2016.6.19
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2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
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2016.7.17
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2016.7.24
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2016.7.31
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2016.8.7
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2016.8.14
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2016.8.21
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2016.8.28
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2016.9.4
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2016.9.11
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2016.9.18
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2016.9.25
メシアはダビデの子
2016.10.2朝礼拝
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2016.10.2夕礼拝
主イエスの言葉を思い出して
2016.10.16
終末のしるし
2016.10.23
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2016.10.30
ゆるして自由になりなさい
2016.11.6
主の言葉は滅びず
2016.11.13
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2016.11.20
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2016.11.27
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2016.12.4
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2016.12.18
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2016.12.25
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2017.1.1
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2017.1.8
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2017.2.5
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2017.2.19
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2017.3.12
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2017.3.19
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