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メシアはダビデの子

説教要旨(9月25日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 20:41-44
牧師 藤盛勇紀

 ユダヤ人の指導者たちは、イエスを殺そうと謀りますが、イエスに期待をかけている民衆の手前、手荒なことはできません。それで彼らは、議論をしかけて言葉尻をとらえて訴えてようとするのですが、議論でイエスに勝つことはできませんでした。
 ここで一転、イエス様は唐突に彼らに問いかけます。「どうして人々は『メシアはダビデの子だ』と言うのか」。そして、ダビデの詩とされる詩編110編を引用されました。ダビデが「わたしの主」と歌うのは、「わたしの主君、王」であり、この世を救う「救い主・メシア(キリスト)」のことです。紀元前10世紀のダビデは、すでに救い主の到来を信じ、待ち望んでいたと理解されていました。
 そのダビデ王の時からすでに千年。イスラエル王国はとうの昔に滅亡し、神殿は再建されたものの、エルサレムとその周辺のユダヤには昔の栄光の面影はなく、ローマ帝国の支配下にあります。しかし、いつの日かメシアが来て、神の国を再建される時が来ると、人々は信じていました。そして、メシアは「ダビデの子(孫)」だと。
 ダビデ家は、はるか昔に没落していますが、主イエスご自身たしかにダビデの血筋です。なのになぜイエス様は、「どうして『メシアはダビデの子だ』と言うのか」といった問題を持ち出されたのでしょうか。
 新約聖書の最初、マタイ福音書の冒頭は、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」です。系図は、優れた血筋や家系を誇るために作られます。ところが、キリストの系図は、隠しておきたい罪を暴くような恥ずかしい系図です。ダビデ自身の醜い所行も暴露されています。キリストは恥ずかしい人間の罪の歴史の中に生まれたのだと、さらしている系図なのです。
 罪人の一人として生まれた者がメシアで、しかも神の御子。どうしてそんなことがあり得るのか。イエス様の問いは、そういうことではないでしょうか。
 ここには、主イエスの問いしかありません。しかし、主は答えておられないのではありません。この問いに対する答えは、イエス様ご自身の身に起る全ての出来事を通して、答えられているのです。
 イエス様は罪人として十字架につけられ、神に呪われた者として死なれます。しかし、復活して天に昇り、神の右に座して、私たちに聖霊を与えてくださいました。それによって初めて、私たちはイエス様の問いに答えられるのです。私たちが告白している使徒信条において答えていますし、その信仰は、聖霊の働きによるのです。
 イエス様が天に昇られ、弟子たちに聖霊が降った時、ペトロたちは立ち上がって人々に語り始めました。その最初の説教で、ペトロはイエス様の問いに答えています。「ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』 だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(使徒言行禄2:25以下)。
 救い主を殺す者に、命をお与えになる救い主。イエス様はこの答えを口で語られるのでなく、書き残すのでもなく、ご自身そのものを献げて示されました。しかもその事実を、私たち自身に証言させるのです。
 主イエスが十字架について死んでくださったので、私たちは罪の赦しを得ました。主が復活なさったので、私たちは新しい命を得ました。父なる神の右に座されたので、私たちは上からの聖霊を受けました。その聖霊によって、私たちは信じ、キリストと結ばれ、神の子とされました。このように、罪の中に生まれたダビデの子イエスは、私たちのメシアとなられたのです。 
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
誰の言葉を聞くのか
2016.4.10
消えていく
2016.4.17
信じて、願え
2016.4.24
立ち上がって、行きなさい
2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
遣わされて生きる
2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
謙遜をかさねて
2016.6.5
ほうっておけない神
2016.6.12
主よ、あなたしかいません
2016.6.19
ただ、いただくだけです
2016.7.3
主イエスの行く道
2016.7.10
あなたの信仰があなたを救った
2016.7.17
救いは訪れる
2016.7.24
小事を生かせ
2016.7.31
終末からこの世を見る
2016.8.7
主の御用のために
2016.8.14
訪れて来る神
2016.8.21
天からの権威
2016.8.28
使徒たちとともに
2016.9.4
神無き世を越えて
2016.9.11
神のものは神に
2016.9.18
神学論争の終わり
2016.9.25
メシアはダビデの子
2016.10.2朝礼拝
主のまなざし
2016.10.2夕礼拝
主イエスの言葉を思い出して
2016.10.16
終末のしるし
2016.10.23
解放の時は近い
2016.10.30
ゆるして自由になりなさい
2016.11.6
主の言葉は滅びず
2016.11.13
本当に大切なこと
2016.11.20
豊かに実を結ぶ
2016.11.27
新人類が現れた
2016.12.4
人間のたくらみ、神の備え
2016.12.11
宿命を超える主の愛
2016.12.18
必ず実現すること
2016.12.25
その名はインマヌエル
2017.1.1
あなたを造る聖書
2017.1.8
王は裸で踊る
2017.1.15
神無き死
2017.1.22
闇の支配
2017.1.29
発光するあなた
2017.2.5
主のまなざし
2017.2.12
神の子、イエス・キリスト
2017.2.19
イエスの沈黙
2017.2.26
衆愚の叫び
2017.3.5
どちらが憐れか
2017.3.12
あざ笑われるメシア
2017.3.19
主の愛の深さを知らされて
2017.3.26
闇の中の光