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天からの権威

説教要旨(8月21日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 20:1-8
牧師 藤盛勇紀

 主イエスがエルサレムに入られた時、民衆は歓喜しました。しかし、ユダヤ教の指導者たちはイエスを亡き者にしようと謀り、まず彼らはイエスの「権威」を問題にします。「何の権威でこのようなことをしているのか」。権威ある者のように聖書の真理を民衆に説いていることや、前日のいわゆる「宮清め」のことを問題にしています。
 「何の権威で」。この問いは罠です。もし、「天からの権威によって」だと答えたら、冒涜罪で訴えてやる。もしも「人からだ」と言えば、正式なラビの教育を受けていないので嘘になる。当時の彼らの権威は、ラビたちの教えの蓄積と継承だったのです。
 ところが、イエス様も彼らに問いました、「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は…」。イエス様の問いは、洗礼者ヨハネの働きのことです。ヨハネは神から遣わされた預言者として、民衆に対してメシア到来の準備をさせました。そこでイエス様は問うのです。あのヨハネの権威は、天(神)からの権威か、それとも人からか。この質問もやはり、どっちに転んでもやっかいなことになります。それで彼らは答えませんでした。イエス様も、「わたしも言うまい」と言って議論を打ち切ります。それは、彼らは実は分かっているからです。分かっているのに自分の思いを変えようとしないし、信じようとしないのです。分かっていながら神に反逆している。これが人間の頑なさです。イエス様は、表向きは「天」に根拠を持って生きているかのように装っていた指導者たちに問いを突きつけたのです。
 しかし、よく憶えておかなければいけないのは、民衆はこの権力者や指導者たちを拒否したのではなく、主イエスを拒否して殺した、という事実です。「天からの権威」が現れると、地上のもの人からのものが脅かされます。すると、権力者だうが非支配階級だろうが、強者だろうが弱者だろうが、人は誰も彼も、頑なになります。
 様々な権威は、限定された場で意味がありますから、私たちも権威に従います。スポーツであれば審判やルールに従い、病院では医師の権威に、素直に従うのです。ところが、最も大事なことが問われる所では、権威に反発します。自分の人生そのものについては、自分が主でいたい。自分が命の主であるかのように、自分の命の由来である「天からの」権威を認めようとしないのです。それで、最も肝心な命や自由については由来が分からず、いつも不安で不安定で、行き先も分からないままです。
 それはまるで、命綱を拒否しながら自由に飛ぼうとしている愚かな姿です。いや、実際飛んでしまっているのです。行くべきところは墜落死です。その悲惨を認めて、天からの命綱を頼りとするのが「悔い改め」「方向転換」です。神様の方に向きを変えることです。しかし、「私は神などに頼らずにいたい。それが私らしいのだ。このありのままの私のままで飛びたい」。そんな天に対する頑なな姿、神に背を向けた自己中心の罪は、いったいどのように砕かれ得るでしょうか。「天の権威」は、どのように人間に現されたでしょうか。
 それは、「天からの権威そのもの」であられた神の子イエスが、人間の権威に翻弄され、押しつぶされ、殺され、捨てられてしまうという、思いもしない仕方ででした。
 イエス様が帯びた神の権威、主の力は、「神に反逆する者のために自分の命を献げる」という、神の究極の自由、究極の愛として現されました。人間の目には最も惨めで最も愚かしく、最もいましましい十字架の死を引き受け、その代わりに罪人に命を与えるのです。このお方を主と信じ、命綱とする者も、上からの命につながって、この世のものに支配されません。天からの権威を知って天来の命につながるなら、頑なな自分を捨て、真の自由を得ます。
 

説教一覧(2016年度)

2016.4.3
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2016.4.17
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2016.5.1
神の国は来ている
2016.5.8
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2016.5.15
神の子とする霊
2016.5.22
主が来られる時
2016.5.29
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2016.6.5
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2016.6.12
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2016.6.19
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2016.7.3
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2016.8.7
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2016.8.14
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2016.8.21
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2016.8.28
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2016.9.4
神無き世を越えて
2016.9.11
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2016.9.18
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2016.9.25
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2016.10.16
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2016.10.23
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2016.10.30
ゆるして自由になりなさい
2016.11.6
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2016.11.13
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2016.11.27
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2016.12.4
人間のたくらみ、神の備え
2016.12.11
宿命を超える主の愛
2016.12.18
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2016.12.25
その名はインマヌエル
2017.1.1
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2017.1.8
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2017.1.22
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神の子、イエス・キリスト
2017.2.19
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2017.3.5
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