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小事を生かせ

説教要旨(7月24日朝礼拝より)
ルカによる福音書 19:11-24
牧師 藤盛勇紀

 ここで語られた「ムナのたとえ」は、「タラントンのたとえ」(マタイ福音書25章)とよく似ています。いわゆるタレントは、人によって異なります。しかしここで主が与えてくださったものは、誰にでも「一ムナ」です。旅から帰った主人が「お前はごく小さな事に忠実だった」と言うように、「ムナ」は、「タラントン」と比べたら「ごく小さな」ものです。その「ごく小さな」一ムナに忠実であったかどうか。あなたに与えられた「小さなもの」によってどう生きたのか、が問われています。
 意味ある充実した人生とするには、何か大きな仕事を成し遂げなければ、と考える人は少なくないと思います。だから自分の人生を何か意味あるもので補いたいと思い、大きなことで覆わなければと、隠された恐れがあって、「大きな事をしたい」「タレントが欲しい」と焦る。
 しかし主は、一人一人に「ごく小さな事」をお委ねになって行かれます。大きな仕事を求めてはおられません。しかし、あなたに与えられた「ごく小さな事」に「忠実であること」は求められています。それに時間をかけ、心を傾け、力を注ぐのです。自分を犠牲にし献げることがあります。そのためには、自分に与えてくださった方に対する信頼と愛がなければなりません。
 たとえの中の僕は、「あなたの一ムナで」十ムナもうけましたと言います。僕は信頼しています。「私の主人は、無意味なこと、空しいことを私にさせるのではない。この小さなものには、主人のご計画があるのだ。ここで私を生かしてくださる」。
 ところが、預かった一ムナをご丁寧にも布に包んでしまっておいた僕がありました。彼は「悪い僕」と呼ばれます。損失を出したわけでもないのに、いったい何が悪かったのでしょうか。主人は、「(お前の)その言葉のゆえに」と言います。僕の言葉はこうです。「あなたは・・・厳しい方なので、恐ろしかったのです」。主人についての、僕の勝手な決めつけです。
 これは信頼(=信仰)の問題です。あなたに与えてくださったお方をどう信じているのか。「悪い僕」は、独り勝手に主を思い描いて「恐れて」いました。だから与えられているものを大胆に生かすことができず、「恐れて」閉じこもり、独り決めして、結局喜びがないのです。
 イエス様は間もなくエルサレムに入られますが、それは「旅立つため」です。呪われた者として十字架につけられ、私たちの負うべき裁きを引き受け、私たちを罪から解き放つためです。このようなお方が、どうして私たちの失敗を赦さないことがあるでしょうか。
 このお方を信頼して自由に大胆に、自分を献げて生きた結果、何らめぼしい成果が見られなかったとしても、だからと言って、私たちが主からお叱りを受けたり、裁かれるなどということはあり得ません。
 主は私たち一人一人に、タラントンを与えてくださっています。しかしその用い方は、「一ムナ」に対する忠実さです。それは、主に対する信頼であり愛であり希望であり、私たちと主との喜びなのです。
 「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と、主が言われるのです。この小さなものを、主ご自身がどう生かしてくださるのか、どんな利益を生んでくださるか、楽しいではありませんか。
 そして、再び来られた主は言ってくださいます、「あなたはよくやったよ。嬉しいだろう」と。主が一緒に喜んでくださいます。与えられた一ムナには、主の御心がありご計画があって、主ご自身が生きて働き用いてくださいます。主の一ムナが、十ムナ、五ムナを生む。その働きを見ない手はありません。隠れてくすぶった人生ではなく、主の一ムナで商売しましょう。小さな一ムナに、大胆に人生を賭けましょう。
 

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