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どちらが憐れか

説教要旨(3月5日 朝礼拝より)
ルカによる福音書 23:26-31
牧師 藤盛勇紀

 過越祭に参加するために、北アフリカのキレネからエルサレムにやって来た「キレネ人シモン」。たまたま、十字架を担いで刑場への道を行くイエスを見ることになります。イエス様はさんざん暴行を受けたあげく鞭打たれ、肉体はぼろぼろです。もう十字架を担いで歩く力も尽きています。そこで、たまたま野次馬の中にいたシモンが十字架を担がされることになりました。
 マルコ福音書を見ると、このシモンは「アレクサンドロととルフォスとの父」だったとありますから、福音書が記された時には、すでにシモンの一家は教会の中で指導的な人物となっていたと思われます。神のなさることは不思議です。屈辱と愚かさの極みであるイエスの十字架へ道は、シモンにとって、ただの惨めな死では終わらず、命の道となったのでした。
 「十字架の道」を「苦難の道」と言うと、人から賞賛される英雄的な生き方をも表しますが、イエス様の十字架の道は違います。愛する者たちから見捨てられ、人々から憎まれ、疎ましく思われ、嘲られ、笑われる、恥ずかしい道です。イエス様に同情的な人々から見ても、「おいたわしい」と、ただひたすら悲しまれる道でしょう。
 その道行きに大勢の民衆がついて来ます。恐い物見たさの野次馬や民衆に混じって、嘆き悲しむ一団がいました。これまで主イエスに従ってきた婦人たちです。「嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して」いました。主がこんなお姿で刑場に引かれていくのを見て、ただ嘆き悲しむしかありません。イエス様もずっと沈黙したままです。
 ところが、ここでイエス様は、その婦人たちに向かってあえて口をお開きになります。「わたしのために泣くな」。主の十字架への道と、主に従って歩むとはどういうことか。旧約聖書の言葉を引用しながら言われました。
 主は、「わたしのために、泣くな」と言われます。「私に同情して泣くのは不要だ」というのです。泣くならば、私のためではなく「自分たちのために泣け」と。ただ、この言葉を誤解してはなりません。自己憐憫の涙を流せということではありません。まるで、神の恵みも祝福も奪われてしまわれたかのように悲嘆に暮れて、嘆き悲しむ、そんな人々のために、主は死なれるのです。もし涙するのであれば、神を見失ったように嘆いている、惨めな自分たちのために泣けということでしょう。
 主は、あらゆる人々に見捨てられましたが、主は決して私たちをお見捨てにはなりません。しかし、イエス様に従ってきた婦人たちにも、まだそのことが分かりません。
 私たちの悩みや嘆きというのは、結局は「見捨てられる」という恐れではないでしょうか。死がその極みです。あらゆるものから切り離され、全てを失い、あらゆるものから自分自身も失われる。その時、神の恵みも祝福も見失っています。「自分のために泣け」と言われたのは、そうした私たちの、神無しの絶望的な姿のことでしょう。
 そして、「わたしのためには、泣くな」と言われたのは、十字架への道を行かれる、この一見惨めなお方は、私たちを神無しの罪から解放し、命を与えるお方だからです。主はただ死なれるだけではない。死を破り、死の支配を終わらせるために、死に赴かれるのです。そして、父なる神のもとに行って私たちに聖霊を注いでくだったのです。
 だから、十字架への道と死は、主の栄光です。十字架は神の力なのです。「おいたわしい」と思うのは、思い違いです。
 イエス・キリストの十字架の死は、罪の中に滅ぶべき私たちの身代わりの死です。私たちも、キリストと共に、すでに死んだのです。もう死ぬことは終わって、神の命に生まれました。この神の祝福と神の愛から、もはや何ものも、私たちを引き離すことはできません。
 

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