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主イエスの言葉を思い出して

説教要旨(10月2日 夕礼拝より)
マルコによる福音書 14:66-72
伝道師 上田真由美

ペトロは、こっそりと遠くから、大祭司のところへ連れて行かれるイエス様のあとについて行きます。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と呼ばれて以来、イエス様と寝食を共にし、イエス様といつも一緒にいたから、離れることは寂しくてたまらない、という思いがあったのでしょう。あのゲッセマネの園で、イエス様を捕らえに来た敵が、乱暴な態度に出た時に、その敵の耳を剣で切り落としたような、自分がお守りする!という思いに駆られたわけではなくて、気になって、イエス様のあとについて行ったのでしょう。
 ペトロは、大祭司の屋敷の中庭で、イエス様との関係を、三度指摘されます。それに対してペトロは、三度否み、言い逃れをします。その言葉の調子は徐々にきつくなり、言わなくていいことまで言うようになります。ペトロは決して、イエス様を見捨てようとは思っていなかったことでしょう。
 けれども、イエス様の仲間だと言ったら、自分も一緒に裁判にかけられる。そう思うと、恐くて、つい、否定したのでしょう。自分を守ることしか考えられない人間の姿があります。
 けれども、もっと恐ろしいことがあります。「そんな人は知らない」と言い張った時、その中庭から上の方の、裁きのために立っておられるイエス様の御姿が見えたかもしれません。そのイエス様を見ながらも、わざと目を逸らして、否定したのかもしれません。それは残酷で恐ろしいことです。
 裁きを受けても、その態度を崩されず、裁きに耐えておられる主キリストの真実さ。ところが、それとは対照的なペトロの不真実さ。かつて、”イエス様と一緒に死んでもいい”と言ったペトロが、ここで、もろくも崩れます。
そんなことがあった後、ペトロは、鶏の鳴いた声に触れてハッと思い出します、あのイエス様の言葉を。「あなたは今日、鶏が二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう」。イエス様は、”あなたは強がっているけれども、間もなく、わたしを否む”と予告されます。ペトロが、あなたが捕えられる時が来たら、一緒に行動し死にますと、自信たっぷりな決意を言い得たのは、罪というものがよく分かっていなかったからでしょう。
ところが、イエス様は、罪は宿命のように人間にまとわりついているだけではなくて、止めようとして止められるものではない、そういう恐ろしさがあるということをご存知だった。だから、こう予告なさることができたのでしょう。
 このイエス様の言葉を思い出したペトロは、この言葉の何に泣いたのでしょうか。
”あなたにはできやしない”と馬鹿にされたように感じたから、涙にくれたのでしょうか。そうではなくて、この言葉の中に、イエス様の真実な御姿を見て、自分の罪に気づいた。こう言われながらイエス様は、もろくも決意崩れるご自分の弟子を見下したり、”あなたなんか知らない”と突き放したりしておられるのではなくて、受けとめ、赦してくださっている。そう気づいたから、泣き崩れたのではないでしょうか。
 今の私たちにとって、イエス様の言葉はどこにあるのでしょうか。それは、十字架にあります。あの究極的で具体的な愛の御業こそが、イエス様の言葉がどんなに真実であるかをはっきりと示しています。
 ペトロは、イエス様が十字架につけられた時に、その十字架のもとにいませんでした。逃げていた。再び、イエス様を見捨てたことになります。またもや泣き崩れたことでしょう。そんなペトロのもとに、復活された主が現れます。そして、ペトロを再びお立てになります。教会の指導者として。 
 ペトロを立ち上がらせることができたのは、彼の決意や力ではなくて、イエス様の言葉の力なのです。ただ一つ、十字架にあるイエス様の真実な御姿、赦す愛こそが、人間を本当に立ち上がらせる力、人間をどん底から救う力となるのです。
 

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