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主に望みをおく人

説教要旨(7月27日 朝礼拝)
ペトロの手紙二 3:8-9
牧師 小宮一文

 終わりの日まで神さまはこの世界をこのように見ているということを伝える聖書の言葉です。「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」。
 神さまの目から見て、信仰の可能性のない人間は一人もいないということを、この言葉は伝えています。神さまはこの世をそのように見ます。そして神さまがそう見ているならば、「いや、最初から無理な人だっています」というのは嘘の証言であり、人間が勝手に思っていることです。
 教会である人がペトロにこう言ったということをこの手紙の中の言葉が伝えています。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか」。ここには恐ろしい何かがあります。虚無的な何かに支配されている人の心を示しています。「世の中のことは、何一つ変わらないではないか」。虚無は世界も歴史もすべてを無意味に見ます。
 ペトロはこのような悪魔の力に対抗します。「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」。主は約束の実現を遅らせておられるのではない、神は現在進行形で救いの計画を進めているのだとペトロは言っています。
 神さまご自身が「世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか」ということを認めませんでした。「何一つ変わらないではないか」ということへの決定的な答えがイザヤ書のこの言葉です。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ、わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ」(43:19~20)。イスラエルがエジプトの軍隊に囲まれたときも、海の中に道が始まっているなどだれも考えませんでした。見えないところで、ただ神さまだけが働いていました。
 私の好きな説教者にクレッグ・バーンズという牧師がいます。その先生の奥さんの伯母さんにこんな出来事がありました。その先生の奥さんのお父さんかお母さんは五人兄弟でした。その兄弟の一番下にダウン症を持って生まれた妹がいました。その妹は両親の支えによって身の回りのことができるようになり、家で両親の手伝いをしながら暮らしました。兄弟の中で優秀な姉がいました。望み通りの大学に行き、望み通りの仕事に就きました。ほかの兄弟も家を出てそれぞれの生活を始めました。あるとき、父親が急死します。妹は母親と暮らしていましたが、続いて母も病気で死にました。そのとき妹の面倒を見ることができるのはその姉だけでした。姉は仕事や働き方を変えなければなりませんでした。この妹のせいで、自分の人生が断たれたと思いました。
 あるとき、妹が重篤な合併症を発症しました。家族や親戚が病院に集まって容体を見ていたとき、だれかが「もう十分がんばったのではないか」とつぶやきました。そのときその姉は自分が思いもしなかったことをしていることに気づきました。神さまに祈っている自分に気づきました。信仰は自分と関係のないものだと思っていました。しかしそのとき姉が発見したのは、ただ妹の回復を祈って神さまにすがっている自分でした。「イエス・キリストがあなたをここに連れてこさせたんだ」と、その先生は言いました。「あなたをここに導いたのはイエス・キリストなんだ」。伯母さんはそのとき神さまがずっと自分のことを探していたということに気づきました。障害を持った妹を通して。
 ただ神さまが見えないところで働いておられました。こういうことは終わりの日までこの世界にいくらでも起きると私も信じています。「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」。