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縦の愛、横の愛

説教要旨(8月2日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 12:3-13
牧師 藤盛勇紀

 「尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」との箇所は、翻訳者によってかなり表現が異なります。口語訳は「進んで互に尊敬し合いなさい」としました。相手よりも「進んで」あなたが「先に」といのです。「お互い様」「あなたも私も」というバランスではなく、むしろ「相手よりも先に」「進んで」そのバランスを崩すのです。
 「兄弟愛」(フィラデルフィア)というビジョンは、確かに理想的な美しい状態です。そんな社会が実現されたらどれほど素晴らしいことでしょうか。しかしこの兄弟愛・互いの愛は、バランスの上には成り立ちません。「あなたが愛してくれたら、私も愛します」「向こうがこうしてくれたら私だって」というのは、計算による取引です。人はいつでもバランスを取って「帳尻を合わせたい」「自分だけ損をするのは嫌だ」と計算し、互いの兄弟愛を困難にしています。
 9節から10節に「愛」という言葉が3つ出てきますが、原文では3つとも違う言葉。9節の「愛」は「アガペー」です。聖書では基本的に人間同士の愛には用いられません。アガペーは何より《神の愛》。あのキリストの十字架において現された、報いを求めない無償の愛、一方的な犠牲愛、与えるだけの、恵みの愛です。
 それに対して人間の愛は、「あなたが愛してくれたら、私も」「あの人がこうであれば、愛する」という「たられば」の愛。「私が愛しているんだから、あなたも愛して」という取り引き関係。しかし神の愛は、取引ではなく、計算がない、報いを期待せず、ただ与えるだけです。その愛によって、イエス様は十字架でご自身の肉を裂き、血を流し、命を注ぎ出してしまわれたのです。
 パウロはまず、神の愛を念頭に置いて語っています。その上で、「偽りのない愛」を人にも求めるのです。神の愛が人間同士の間で受け取られて人間的なものと関わると、どうしても「偽り」が入り込みます。「愛」とは言っても一枚めくれば計算ずくの取り引き。だとすると「相互の愛・兄弟愛」など、ただの理想に過ぎず、神の愛と兄弟愛は果たして結びつかないのでしょうか?
 神の愛が、上から一方的に注がれる「垂直・縦の愛」だとすれば、兄弟愛は人間相互の「水平・横の愛」です。この「縦と横」を結ぶ一点こそ、キリストの十字架です。だから「偽りなき愛」を知ろうとするなら、いきなり人間の内に探しても無理です。偽りのない愛は、まずイエス・キリストの十字架に現されました。人間の側には何の準備も無く、何の理解もなく、むしろ神に敵対していたのに、神が一方的に与えてしまった愛です。だから、この愛の出来事を伝える「十字架の言葉」は「愚か」だとパウロは言ったのです。反逆し刃向かって来る者を愛し祝福する。それは人間の間では愚かしいことであり危ういことです。
 しかし、その愛に触れられた者にとっては、その「愚か」こそ、神の知恵であり力なのだと分かるのです。愚かな十字架がまさに福音です。「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」とイエス様が言ったあの「ナルドの香油」のエピソードが、思い起こされなければなりません(マタイ26章、マルコ14章、ヨハネ12章)。高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎ出してしまったあの女は、なぜか悟ったのです。イエス様は死に行こうとしている、それは私の罪のため、その赦しのためだと。私のために惜しみなく注がれる主の命、犠牲の愛を知った。だから彼女も、誰かから言われたわけでも要求されたのでもなく、計算によってでなく、ただ自ら、自分の持っていた最高のものを惜しみなく注ぎ出したのです。
 主の愛に触れられたなら、私たちの内に、主に対する愛が引き起こさます。そこに初めて「互いの愛」が現れ出てくるのです。

説教一覧(2020年度)

2020.4.5
初めであり終わりである方
2020.4.12
主の言葉を思い出せ
2020.4.19
主を知って生きる
2020.4.26
どんな時も主を仰ぎ
2020.5.3
美しい足
2020.5.10
祭司の務め
2020.5.17
キリストの言葉を聞く
2020.5.24
私も日本人ですが
2020.5.31
永遠にあなた方と共に
2020.6.7
彼らの罪が世の富に
2020.6.14
新たに生まれる
2020.6.21
野生のオリーブ
2020.6.28
秘められた計画を知る
2020.7.5
神の富と知恵も深さ
2020.7.12
新しい時代のはじまり
2020.7.20
この世に倣わず
2020.7.26
信仰の度合いに応じて
2020.8.2
縦の愛、横の愛
2020.8.9
命のパンをいただく
2020.8.16
平和へのもう一歩
2020.8.23
自由の由来
2020.8.30
今という時を知る
2020.9.6
生きるにしても死ぬにしても
2020.9.13
神の国は義と平和と喜び
2020.9.20
隣人を喜ばそう
2020.9.27
敗北から
2020.10.4
希望の源
2020.10.11 朝礼拝
わたしがここにおります
2020.10.11 夕礼拝
門は開かれた
2020.10.18
私を用いて働く主
2020.10.25
終わりを目指して
2020.11.1
旅立つ者として生きる
2020.11.8
ふさわしい実を結べ
2020.11.15
主にある挨拶
2020.11.22
平和の源である神
2020.11.29
あなたを強める神
2020.12.6
慈愛に満ちた神
2020.12.13
神の御前に立つ者
2020.12.20
暗闇を照らす光
2020.12.27
神に希望をかける者
2021.1.3
私たちの誇り
2021.1.10
生き返り、見つかった
2021.1.17
『否』でなく『然り』のみ
2021.1.24
行き違いを越えて
2021.1.31
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2021.2.7
勝利の行進
2021.2.14
主の導き
2021.2.21
あなた方はキリストの手紙
2021.2.28
文字は殺し、霊は生かす
2021.3.7
顔の覆いを取り除け
2021.3.14
雪のように白く
2021.3.21
神の輝きを見よ
2021.3.28
この土の器にも