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『否』でなく『然り』のみ

説教要旨(1月17日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 1:15-22
牧師 藤盛勇紀

 人間関係のこじれはややこしいものです。コリント教会の人々とパウロとの間にもこじれがありました。コリントに様々な問題が生じていることを知って、パウロはコリント再訪の計画を立てました。それは「あなたがたがもう一度恵みを受けるように」。それほどにコリント教会は問題に満ち、信仰的・倫理的に堕落していたのです。
 ところが、コリント教会はパウロの訪問を歓迎しません。それがパウロに伝わり、再訪問を断念します。それがまた、パウロに対する批判となりました。「パウロは然りと言いながら否というのだ」と。まったく勝手なものです。パウロの真実はまっすぐにコリントの信徒たちに伝わりません。
 それでもパウロは、「なんでこうなんだ」と嘆くのではなく、自分の考えを弁明するのでもなく、唐突に、「神は真実な方です」と言います。自分たちの真実さを問題にするのでなく、神の真実に向かうのです。「わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、『然り』と同時に『否』となったような方ではありません。この方においては『然り』だけが実現したのです」。
 人間関係では「然りと否」「イエスとノー」が交錯し突きつけられます。理解と誤解、信頼と不信が入り交じり、疲れ果て、嫌気がさし、空しさを感じたりします。しかもパウロは、それを教会の中で味わいながら、空しくならないのです。人間の間の「然りと否」の混乱のはるか上、あるいは遙か下に、巌のように動くことのない真理であるキリストによる「然り」があるからです。
 様々な人間の批判と無理解に晒されながらも、キリストによる神の大いなる肯定があるから、いつでもそこに立つことができる。私がキリストのものとされているがゆえに、神は私に「然り」だけを向けてくださる。人が仮に「お前などいらない」と言ったとしても、「そこに生きよ」と言ってくださる。この《神の肯定》があるから、私の人生、生きて良しなのです。
 私たちは神から否定されるべきことが無いわけではありません。それどころか、神をないがしろに生きていた者であるなら、神から全否定されて当然です。創造主なる神から「否」と言われたらそれまでです。
 ところが、私たちに対する神からの「否」は、神の御子イエスが引き受けてくださいました。私たちに対する強烈な「否」は、十字架に炸裂し、今もキリストが全て後ろ手に引き受けてくださっているのです。この方によって、私たちには神からの「然り」だけが実現しているのです。キリストが呪いとなってくださったので(ガラテヤ3:13)、この方に結ばれた者には「祝福」だけが残され、いつでもどこでも、イエス様の「幸いなるかな(貧しき者、悲しむ者よ)」という御声を聞くことができるのです。
 人の言葉によって右往左往する私たちが、キリストに結ばれた者として神からの「然り」を聞くなら、「安心して行きなさい」との御声を聞きます。この「然り」が聞こえる。それに気づくこと、主が生きておられることを信仰によって確かめることです。
 その真実を確かめられる拠り所を、パウロは神からの「証印」と言います。神からの太鼓判、それは洗礼です。そして洗礼を受けた者に注がれている「霊」が保証です。霊によって霊なる主と交わる生活です。
 宗教改革者ルターは、全ての人々から「否」を突きつけられたとき、「私は洗礼を受けている」と机に書きなぐりました。神からの肯定の中に確信と平安を見出し、「我ここに立つ」と、まさにただ一人立ったのでした。
 神からの証印を身に帯びて生きるということは、人を無力にし暗くする「否」の中で、神からの「然り」を聞いて、神からの肯定の光を受けて生きることです。神からの証印を受けたなら、ただ、「然り」という恵みの御声を聞き続けてよいのです。

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