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顔の覆いを取り除け

説教要旨(3月7日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙二 3:12-18
牧師 藤盛勇紀

 ここで「わたしたちは確信に満ちあふれてふるまって」いるとパウロは言いますが、彼の手紙を読んで知らされるのは、率直に自分の弱さを見せる姿です。「私は弱い時にこそ強い」と言い、主の「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と言ったように、神の憐れみと恵みの力によって生きる強さを知ってほしいからです。
 そこでパウロは、モーセに言及します。「モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして自分の顔に覆いを掛けたようなことをしません」。
ここでパウロが言うことと出エジプト記34章で語られていることは、かなりニュアンスが違うように思われます。出エジプト記によれば、モーセが主なる神から十戒をいただいてシナイ山を降ると、その顔が光を放っていました。神と語り合ったので、神の栄光を反映していたのです。イスラエルの民は恐れて、モーセに近づくことができませんでした。それでモーセは顔に覆いを掛けて民に語ったというのです。
 ところがパウロは、モーセが顔に覆いを掛けたのは神の栄光の光が消え去る様を民に見られたくなかったからだと言うのです。あの輝きは一時的なものに過ぎなかった。顔の覆いはモーセの弱さを隠すものだった。そして「今日に至るまで、旧い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです。…このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています」と言います。モーセの書すなわち旧約の律法が覆いを掛けたまま読まれているため、今もなお正しく理解されていないというのです。
 コリントの信徒たちは、「キリストの恵みも大事だが、救われるためには律法も守らねばならない」という律法主義的な考えに傾いていました。律法に従う生き方は立派で力強く見えます、しかしそれは結局自分の弱さを覆い隠すだけで、本当の弱さは克服されていない、モーセを通して語られた神の言葉も覆いが掛けられて真に理解されていない、その覆いはキリストによってこそ取り除かれるのだと言いたいのです。
 本当に律法に従って生きようとすれば誰も「完全に守りました」とは言えません。神の前での自分の正しさは消え失せる。だから律法は、人間の罪を指摘し、弱さを暴露するものです。
 神が求めることは、私たちが自分の罪とその弱さを認めることです。私は実は神から離れていた、そのためにどれほど惨めな者だったかを認めて、そこから翻り、方向を変え、神に立ち帰って生きることです。
 「主の方に向き直れば、覆いは取り除かれます。ここで言う『主』とは“霊”のことです」と言われます。《霊なる主に向き直る》とはどういうことでしょうか? 1コリント2章で霊的なことを理解することについて詳しく語っていますが、一言で言えば「霊のことを理解するには、霊によるしかない」ということです。まさに「文字」ではどうにもならず、人間の知恵も全く役に立たないどころか全く空しいのだと。
 神は命の霊です。この方に生かされ、生きて知るしかないのです。「文字」を読むではどうにもなりません。生きておられる方から「聞く」のです。聞くことは、向こうから来る言葉に自らを「委ねる」こと。自転車に乗るのに頭で理解しようとする人は絶対に乗れません。むしろ身を委ねる時に一体となり、乗れたと気づき、今まで知らなかった自由を得たことを知ります。
 あなたに触れてくださっている主に委ね、信頼することです。自転車に乗るにも「転ぶんじゃないか」と恐れて委ねない人は一生乗れず、出会えません。主に向き直って委ねるなら、そこに主はおられ、あなたを支え、導き、力を与え、真の命に入れて、自由と希望を得さてくださいます。「主の霊のおられるところに自由があります」。
 
 

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