生きるにしても死ぬにしても
説教要旨(9月6日 朝礼拝より)
ローマの信徒への手紙 13:11-14
牧師 藤盛勇紀
「信仰の弱い人を受け入れなさい」とあります。「信仰の弱い人」とは、「私はクリスチャンとしてこれを食べない」とか「私はこの日を他の日よりも意味があると信じて、その日を特別に扱う」といった態度を取っている人のことです。何かに囚われて《自由になれない人》。「信仰者はこうでなければいけない。これは食べるべきではない」と、《ねばならない》こだわりに生きている人。なので、その人を見るとかえって「信仰が強い人」に見えるでしょう。ここでは、信仰の弱い人の例として「野菜だけを食べている」人とあります。彼らには、「食べる人を裁いてはなりません」と戒められています。弱い人が強い人を裁く。一体どっちが強いのか分からなくなります。
パウロがここで言おうとしているのは、信仰の強い人だろうが、弱い人だろうが、その人は確信をもって生きている、ならば、強い人も弱い人もどちらも「主のために」生きているという点では同じではないか、ということです。
だから、強い者と弱い者との関係が問題なのではなく、両者の「主」がテーマなのです。弱い人を軽蔑するなとか、強い人を裁くなと言うのは、「どちらが強いか弱いか」という話ではなく、「あなたは彼の主ではない」ということです。あの弱い人も、主のために確信を持って生きている。その人を《まるで主がいないかのように》、あなたが裁くのかと。だから4節でこう言うのです、「主は、その人を立たせることがおできになる」。その人を立たせるのも倒すのも、あなたじゃない! 彼の主が、その人を立たせるのだというのです。
だから、強い人と弱い人を横に見比べるのでなく、一方が他方を配慮するというのでもなく、私たちは共に主を見上げ、主に従っている、その事実を見ようということです。「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」。だから上を見て、神に向かって生きる者ではないか。
上を見て神に向き直る時、そこで知る真実は何でしょうか? そこにキリストによる赦しがあり、キリストによる執り成しがあり、新しい命があり、祝福がある、つまり【キリストが生きておられる】事実です。
罪を負って死なれたキリストなしに、私たちは神の前には立てません。上を見上げるとは、十字架の主を見ることです。私たちのために十字架にかかって執り成してくださったお方が、私たちの主として生きておられる。この方についてこう言われます。「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きてる人にも主となられるためです」。《死んで生きた》とは興味深い順序です。キリストは「死んで」、生きておられる方です。洗礼によってこの方に結ばれた者も、「生きて死ぬ」のでなく「死んでいたのに生きる」者。死ぬべき者なのに生きる者です。キリスト者の生は、一度死んだ者の生。一度終わった者の再生です。「死ぬこと」はもう終わりました。「《終わること》が終わった」。だから今すでに、永遠の命に与ってるのです。
「それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか」。兄弟を裁くのは、自分がその人の主になってしまうからです。その人に主がおられるのを忘れているから、「信仰の弱い人」なのです。しかしその人を立たせるのも倒すのもあなたではない! あなたを立たせるのもあなたではない! だからこのことを覚えなければなりません、「わたしたちは皆(強かろうが弱かろうが)神の裁きの座の前に立つのです」。キリストに結ばれているから神の前に立てる。「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のもの」。この真理が、私たちの信仰を強くし、より自由にします。主は言われました。「真理はあなたがたを自由にする」。キリストにある真理と命が私たちを自由に、より自由に、さらに自由に生かすのです。
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