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今週の説教

霊の人か、肉の人か

説教要旨(4月3日 朝礼拝より)
コリントの信徒への手紙一 3:1-5
牧師 藤盛勇紀

 問題多いコリント教会に対して、パウロは改めて語りかけます。「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。相変わらず肉の人だから」。パウロは直前の箇所で言いました。「霊的なものによって霊的なことを説明するのです。自然[魂]の人は神の霊に属する事柄を受け入れません」(2:13-14)。「霊の人」とは神の霊によって霊的なことが分かる人。「肉の人」は「自然の(生まれながらの)人」で、神の霊に属する事柄を受け入れられず、乳しか飲めない「乳飲み子」だというのです。
 ヘブライ人への手紙にもこうあります。「固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです」(5:14)。「善悪を見分ける感覚」とは人間の経験に基づく善悪ではなく、「心を新たにして自分を変えて」いただくことです(ローマ12:2)。神の霊によって新しくされた私たちの魂・心に新しい「思い」(知性)があり、主の霊に触れられて自分の内に抱く思いです。それをパウロは「キリストの思い」(2:16)だと言いました。
 パウロはコリント教会に見られた妬みや争いの現状を思いながら言います。「あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる」。「ただ」とは原文にはなく、あなたがたは「人として歩んでいる」と問題にしています。人が人として歩むは当然ではないかと思われるでしょう。しかし、前章でパウロは言いました。「わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、"霊"に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです」(2:11~13)。
 神からの霊を受け、恵みとして与えられたものを知るようになった人は、恵みによって生きる「霊の人」です。そうでなければ「肉の人」、生まれながらの人間、神との命の霊の交わりを失った、まさにただの人。自分の思いや知性のみで考え、判断し、神の霊による平安も潤いも知らない心で感じ、ただ人の意志によって生きるだけ。霊的な事柄や天に属するものも理解できません。
 しかし、神の霊によってキリストに結ばれて新しく生まれた者は、「霊から生まれた者」です(ヨハネ3:6~8)。新しく生まれた者は、ただの人間ではないのです。パウロは15章で、キリストを「第二の人」と言っています。全く新しい人です。「天に属する者」とも言いますが、キリストに結ばれた私たちもそうなのです。もはや地に属する者ではありません。
 なのに、コリント教会の人々の現状は、パウロも呆れるほどのありさまでした。妬みや争いが絶えず、ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っている。「とすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」。パウロは繰り返し「ただの人」だと言います。霊的な恵みも、霊的な賜物のことも分からない、ただの人間だと。
 パウロはコリントの信徒たちの余りにも人間的な思いや振る舞いに呆れています。しかし、パウロが霊の人に対するように語ることができない、と言うのは、本当は霊の人とされているのに、そのように語ることができないという、もどかしい思いです。あなた方は本当は「ただの人」ではない!「肉の人」ではない! 主がご自身の血をもって取り戻した神の子であり、霊の人だからです。