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主がお入り用なのです

説教要旨(4月10日 朝礼拝より)
マタイによる福音書 21:1-10
牧師 星野江理香

「ダビデの子にホサナ」
「いと高きところにホサナ。」
喜び叫ぶ群衆に迎えられ、城塞都市エルサレムの城門の一つから、主イエス・キリストと弟子たちの一行が入って来られました。それは5節で「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる」と預言されている、さながら闘いに勝利した王の凱旋パレードのようでした。
しかしながら、私たちがこの場面で不思議に思うのは、王として迎えられた主イエスのこの時のご様子です。一般的に、将軍や国王の凱旋は、立派な戦車や猛々しい軍馬を用いて威風堂々・華々しく行なうものなのに、主イエスは、村の畑や家畜小屋で見かけるようなろばに乗って来られました。ちっとも立派でも何でもない、大人が乗れば足が地面に着いてしまう丈の低い子どものろば。それに成人男性がその体重と大きさで乗るのですから、ヨタヨタしながらのおぼつかない歩みであったでしょう。それは威風堂々の王の行進にはほど遠かったと想像されるのです。それでも主がこのような仕方でエルサレム入城を果たされ、預言にもそうあったことには理由があるに違いありません。
実はこの出来事の数日前、エルサレム入城の準備のために、主イエスは滞在した地の近くに弟子をお遣わしになり、そこに繋がれている大人と子どものろばを借りてくるように命じられ、もし持ち主に何か言われたら「主がお入用なのです」と言うようにと仰せでした。そして不思議なことにろばの持ち主は、「主がお入用なのです」という一言を聴いただけで納得して、大切な財産であるろばを、見ず知らずの相手に貸し出すことを承知したのでした。
家畜として飼われていたろばは、馬に似て馬より小さく耳が長い、ユニークな姿をしています。競争や戦争には不向きですが、性質が温和で粗食に耐えることが重宝され、荷物を運ぶのに用いられました。また「ろば」は当時も「愚か者」の代名詞として使われることが多かったそうです。同時に、小さいわりに重い荷を背負わせても耐えて担ぐ性質が、誠実で人を裏切らないと信頼されたのでした。つまり一方で「愚かだ」、「価値がない」と言われながら、他方では働く現場の人々から頼りにされたのです。
主イエスのパレードに軍馬や戦車ではなくろばが用いられたのは、神様のひたすらな「優しさ」、「憐み深さ」のしるしです。罪深い私たちを赦し、そのために自分の独り子さえ犠牲にされた、ひたむきな神様の優しさです。兄弟で憎み争う愛に欠けた惨めな私たちをも救いたいと願って止まない優しさ。そしてその根底にある深い愛と決意と尊いご意志を示されるために小さな子ろばは召されたのでした。
 小さな子ろばがこの世的には小さな存在であるにもかかわらず、主の御用のために重く用いられたように、私たちが思うよりも神様は、私たちを思いもかけない使命へと御召しになられることがあります。そして、ご自分の召しに応答し誠を尽くす者を自らお支えくださり、必要なものを与え、その使命に生かしてくださいます。そうして神様は、啓示やご計画の実現を遂げられるのです。
今日も皆様の中に「主がお入り用なのです」というみ声を聴いている方がおいでになることでしょう。「イヤイヤ私には到底無理」と思った方もおいでかも知れません。でも、「主がお入り用なのです」というみ声を聴いたなら、御父なる神様の慈しみと優しさに信頼し、また何より共に重荷を負い、道を開き導き支えてくださる主イエス・キリストに心からの信頼を寄せて、あの子ロバのようにヨタヨタ・ヨロヨロ、また時にジタバタしながらも、忍耐強くひたむきに、<主のお入り用>として、主の御用のため、共に用いられて参りましょう。