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この世の権威の猛威

説教要旨(10月9日 夕礼拝より)
ヨハネの黙示録 13:1-10
牧師 藤盛勇紀

 ヨハネが見た天での戦い(12:7)の続きです。「蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全人類を惑わす者」である「竜」に対し、ミカエルら天使の勢力が挑んだ戦いです。竜の勢力が負けて、地上に投げ落とされたにもかかわらず、なお最後の悪あがきのように、地上で聖徒たちを苦しめています。
 「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上ってくるのを見た」とヨハネは言います。「竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた」。まさに黙示録的な描写が続きます。このヴィジョンは、地上の歴史と無関係ではなく、むしろ写しのようなものです。地上の現実を天に投影してるのか、それとも、天での出来事こそ現実で、この地上の有り様が投影なのか。いずれにせよ、ここでは「一匹の獣」(ローマ帝国)が途轍もない力を持ち、言語に絶する非道さでその力を振るいます。それは、「竜」が「獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた」からだと言うのです。現代はローマ時代とは全く違いますが、悪魔的な力が陰に陽に猛威を振るっていることは誰もが知っています。不気味に巨大な力が、極端に複雑なシステムを通して人間を支配しています。
 「獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた」。しかも、「捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される」。ここにいったいどんな希望を見出し得るでしょうか。世界はいつでも不条理に満ちています。正直者が馬鹿を見、悪が善良な人々を駆逐し、邪悪な力が正義を封じ込める。もちろん、そんな力にも栄枯盛衰がありますが、悪人も善人も等しく滅びるということも、厳しい真理です。
 しかし、「ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である」と言うのです。神の真理は、悪に退けられたのではありません。猛威を振るう「巨大な竜」は、すでに「地上に投げ落とされた」のです。竜は自分が滅ぼされることを知っているので、神の恵みによって命に入れられた聖徒たちを妬み、彼らを滅びの火に道連れにしたいのです。だから、竜の力が猛威を振るっていても、騙されてはなりません。希望を失って自暴自棄になり、悪魔と同じ運命を辿ってはならないのです。
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」(ヘブライ11:1-3)。
 聖書のヴィジョンは、幻想でも絵空事でもありません。この地上で起こることは、実は天の現実の映しなのです。様々な力の衝突や国々やその権威の栄枯盛衰など、人間を飲み込む大きな悲惨も不幸も映しです。地上の世の有り様はすべて過ぎ行き、何一つとして、立ち続け永続するものはありません。この地上の現実の方が、むしろ幻想なのです。
 では、イリュージョンのように何ら実体のない単なる影なのかというと、それも違います。私たちがこの目で見ている現実の背後に、実体があります。その真の実体をこの世の有り様は映し出しているのです。たしかに、地上のものは過ぎ去るものです。私たち自身も死ぬべきものです。しかし神は、この死ぬべきものを生かし、用いて、神の愛と恵みと命を現してくださいます。
 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」。だから「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」。なぜなら「イエスの命がこの体に現れるため」(2コリント4:7-10)。だから、死ぬべき自分の身がもろくても問題ない。打ち倒されても滅ぼされない。これが、ヨハネも言う忍耐であり、「信仰」による希望が生み出すのです。