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霊の風に吹かれる

説教要旨(6月5日 ペンテコステ礼拝より)
コリントの信徒への手紙一 12:1-3
牧師 藤盛勇紀

 聖霊降臨の出来事(使徒2章)は、大いなる神の力の経験でした。弟子たちに炎のような「舌」が与えられ、人が思いもしなかった、新しい言葉が語り出されたのです。「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』とは言えない」とあります。教会の信仰の要約であり中核です。
 「十字架の言葉」は「愚かなもの」。それを宣べ伝える宣教も愚かですが、「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」(1:18-25)。人の知恵では到底信じられない事実を信じ、世の知恵が言い得ないことを言う。これは神の力であり、聖霊の働きによります。
 復活の主は昇天の前に弟子たちに言われました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、…地の果てに至るまでわたしの証人となる」(使徒1:7-8)。聖霊を与えることは、一貫した主なる神の約束です。それはイエスにおいて実現しました。この方によって新しい命がもたらされ、新しい生き方が始まりました。この私が神の子とされている! どんな人であっても、神があなたを生かし、神の国をこの世に現すために、あなたをその場で用いられます。私たちのために死なれ、今生きておられるイエスの恵みを証しする者、表す者と、すでにされているのです。
 「こんな私が?」と恐れなくていいのです。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」(ローマ8:14-16)。
 だからパウロは3章で言いました。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」。神が、私たちの内なる霊と一緒になって証ししてくださいます。
 聖霊は見えないしイメージもできない?当然です。聖霊はイエスを証しし、イメージさせるお方。「霊」は「風」でもあります。風は見えませんが、「風は分からない」などと言う人はいません。何の説明もなく分かるのは、風の力と働きによります。神の霊に触れられ、霊が注がれると何が起こるのでしょうか。主の霊が人々に注がれるとき、誰もが主を知り、互いに「主を知れ」と教え合うことはない。主は彼らの罪に心を留めることはなく、あなたの上に置かれた主の霊、主の言葉は、とこしえに離れることなく、主の霊は息子や娘、老人にも若者にも、奴隷の男女にも注がれ、「主の御名を呼ぶ者は実は、救われる」(ヨエル3:5、ローマ10:13)と、預言者たちは語ります。
 この霊によって私たちは「アッバ父よ」「イエスよ、我が主よ」と呼びます。この手紙の冒頭の挨拶でパウロは、「コリントにある神の教会へ、すなわち、至る所でわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、…」と呼びかけました。神の教会、キリスト者は、主の名を呼び求めている者たちです。
 今やあなたにも神の霊が注がれています。「分からない」「感じられない」でしょう。神はあなたを無理矢理信じさせるようなことはなさらないのです。しかし神は語り続け働き続けておられます。あなたが自ら神に心を向けるように働きながら、待っておられます。神の霊は、あなたの内なる霊と一緒に、真の命に生きたいのです。恐れなく、神を「アッバ」と呼びたいのです。
 神は「光あれ」と言われた(創1:3)。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1:4)。ひまわりは自分を生かす光に顔を向けます。私たちも神の霊・命・光に、自分を向けます。神の息吹・神から吹きつける風を感じたなら、心を向けましょう。そこに新しい命が始まり、神はあなたを通して働かれるのです。